学説・判例研究~憲法~表現の自由の根拠

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学説・判例研究 憲法

表現の自由の根拠

1、表現の自由の根拠

一般的に挙げられる根拠
・自己実現・自律の前提条件
・民主的政治過程の維持
・思想の自由市場

(1)自己実現・自律
表現の自由は思想・良心の自由と一体のものであり、精神的存在としての人間に不可欠な自由である。表現は、個人の人格・個性の発現であり、人格を形成・発展させるために欠くことが出来ない。表現の自由の抑圧は、個人の人格に対する直接的な抑圧である、との考え。(=自己実現の価値)

【S先生の見解】
自己実現について
「潜在的な人格を実現するゆうても,その人格がエエ(善い)人格なら実現すべきじゃろうけど,そんな保証はないじゃろ。その人が勝手に自分の好きなような人格になるからゆうて,何で裁判所が面倒みる必要があるんかよう分からんわ。
そもそも,人格ゆうてものぉ,それは作り事じゃろ。人間誰でも,自分の内心を覗いてみたら,いろんな感情や感覚や想念が何の整合性もなく渦巻いとるだけよ。どこにも確かな自分なんか見つかりゃせんわぁ。」

自律について
「そうはゆうても,自律のためゆうんなら表現の自由だけが大事なわけじゃないよのぉ。職業選択の自由も大事じゃし,自分の決めた生き方を生きるためには財産権も大事じゃろう。情報の収集や判断の熟成のためには,身近な人たちとの少人数でのコミュニケーションが大事になるんじゃけど,それは表現の自由というよりはプライバシーとか親密な人との結社の自由に関わる問題じゃし。いずれにせよ,自律のために大事という議論はあまりに多くのことを証明しすぎるゆう難点があるんじゃ。」

(2)民主的政治過程の維持
国民主権に基づく民主主義の政治システムが機能するためには、主権者の自由な意見交換や批判の自由が不可欠である。表現の自由は、市民が政治に参加するための基礎をなす権利である、との考え。(=自己統治の価値)

【S先生の見解】
B「表現の自由は,多様な価値観を抱く人々から構成される社会全体の利益について理性的に討議・決定する場を維持・形成する基本条件の一つですから,その場その場の多数派の恣意で縮減されたりしないように,民主的政治過程とは独立した立場から裁判所が面倒を見なければ,ということは言えるような気がしますが。」

S「それはそれで分かるが,肝心な問題は,自由に議論のやりとりをしとったら,本当に社会全体の利益を実現するような名案がそこから出てくるかよのぉ。」

B「一般市民を含めた自由な議論のやりとりの中から社会全体の利益につながる名案が出てくるとは限らないとしても,それでも表現の自由は守るべきだという議論はありえませんか。」

S「一つ考えられるんは,あれよね。さっきあんたもゆうとったけど,多様な価値観・世界観が公平に共存するような社会であるためには,そういう多様な考え方が自由に表現されて,いろんな生き方がありじゃいうのがみんなに認められるんが,好ましい環境になることは確かじゃね。人の生まれながらの本性としては,自分の価値観と対立するようなものは抑圧しようゆうのが自然じゃけぇ,そうならんように,つまり特定の価値観を公私を問わず押しつける専制政治に陥らんように,裁判所が歯止めになって守ってあげるゆう理屈はあると思うよ。でも,この理屈が成り立つためには,人の本性に反するような人為的な環境を社会の多数派の圧力に抗して維持することに,十分な数の裁判官がコミットしとるゆう前提条件が必要じゃけど。」

B「しかも先生からすると,そうした多様な価値観の公平な共存のために必要なのは,表現の自由には限られないということですね。」

(3)思想の自由市場
表現の自由は、社会の進歩・発展にとって不可欠である。各人の思想や意見が自由に交換される「思想の自由市場」(ホームズ裁判官やJ.S.ミルの議論)が確保されて初めて、「真理」の発見とそれに基づく社会進歩が可能になる。権力による表現の自由の抑圧が、「真理」の発見と社会進歩を遂げてきたことは歴史の教えるところである、と考える。
(真理と誤謬とを自由に競争させれば真理が生き残る、という功利主義的な考えを基礎とする)

【S先生の見解】
B「となると,むしろ,「思想の自由市場」という物語は,「真理」を発見する手段になるというよりは,「真理」という概念が簡単にはあてはまらない思想や価値観に関するものだと考えた方がよさそうですね。そうなると,結局のところ,「思想の自由市場」の意義も,さきほど出てきた,多様な価値観や世界観が公平な形で共存できる環境をどう形成し維持するかという話に合流していくような気がしますが。」

S「まあ,そうゆう話じゃあ思うよ。」

(4)まとめ
B「先生のお話をうかがっていると,結局のところ,表現の自由を厚く保障すべき根拠として,誰もが同意する確かなものはなかなか見つかりにくいということに。」

S「それで別に困らんじゃろ。表現の自由の根拠論なんて,学者が勝手にやっとるだけじゃけぇ。表現の自由を厚く保障すべきじゃゆうことについては,現に法律家共同体の内部に確かなコンセンサスがあるんじゃし。法律学の問題ゆうのはいつもそうじゃが,ある問題のあらゆる局面にわたって厳密かつ普遍的に妥当する議論を構築するゆうのは,もともと不可能なんよ。標準的な想定の下であてはまる,それなりにもっともらしい議論,ゆうくらいで満足するしかないんよね。」

以上、S先生が言うように、それぞれの根拠は、当然に表現の自由の優越性を導くものではない。しかし、この優越性の議論が、憲法の保障する基本権に序列を付けようとするものでなければ、否定することは難しい。表現の自由は、権力者による制約を受けやすいという歴史上の事実もある。
制限の合憲性を判断する際に、他の制限の場合よりもいっそう慎重に、厳格な基準によって判断されなければならない、また、表現の自由と同様に厳格な基準を用いるべき基本権も存在すると考えるのであれば良い。

2、表現の自由に関する審査基準

(1)芦部の基本枠組
A 検閲・明確性のない法律 ← 文面上無効になる局面(文面審査)、厳格審査
B 表現内容の規制 ← 厳格審査(CPD、LRA)
C 表現内容中立規制

(2)文面上無効
① 検閲ないし事前抑止の禁止
事前抑制は、「思想の自由市場」の考え方に反する。そして、事後抑制に比べ、事前抑制は規制の範囲や対象がはるかに広範に及ぶ。したがって、事前抑制は、表現の自由に対する行き過ぎた規制となる危険性が高いため、事前抑制は原則的に禁止されなければならないと考える。事前抑制という手段をとる法律は、目的を審査するまでもなく、文面上違憲と評価されなければならい。ただし、事前抑制にも様々なものがあり一定のものは認めざるをえない(プライバシー権を侵害するような表現の事前差し止め等)。
(<参考>経済的自由の領域では、許可制など多くの事前規制が行われている。)

【最大判S59.12.12 札幌税関検査訴訟上告審】
最高裁は、21条2項前段にいう「検閲」は絶対的禁止であると示した。
宮沢説は検閲と事前抑制とを同視し、21条2項は事前抑制の禁止で絶対的禁止ではなかった(宮沢俊義「憲法Ⅱ」1959)」)。
しかし、本判決は、事前抑制のうちの特定のものが検閲になり、21条2項が検閲の禁止(絶対的禁止)、21条1項が事前抑制の禁止の規定と考えられるようになった。ただし、検閲の定義を絞りすぎたため、検閲に該当するような場合は想定できないという問題が発生した。
そして、検閲の定義を次のように示した。「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上不適当と認めるものの発表を禁止すること」。

【最大判S61.6.11 北方ジャーナル事件上告審】
・裁判所による差止は検閲にあたるかについて。
最高裁は、「仮処分による事前差し止めは表現物の内容の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行政機関によりそれ自体を目的として行われる場合とは異なり、個別的な私人間の紛争について、司法裁判所により当事者の申請に基づき差止請求権等の私法上の被保全権利の存否、保全の必要性の有無を審理判断して発せられるものであって」、検閲には当たらないという。「裁判所が事前差止めを命ずる仮処分を発するには、原則として口頭弁論又は債務者の審尋を行い、表現内容の真実性などの主張立証の機会を与えること」が原則であるから、両者の発言の機会が与えられていて公平公正なものであると強調する。

・出版物の事前差止めは、事前抑制として憲法21条1項に違反しないか。
まず、出版物の事前差止めは、このような事前抑制に該当することを認める。
そして、表現行為に対する事前抑制は、表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法21条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されるという。
すなわち、その対象が公務員または公職選挙の候補者に対する評価、批判の表現行為に関するものである場合、一般に公共の利害に関する事項であるというべきであり、その表現が私人の名誉権に優先する社会的価値を含み憲法上特に保護されるべきであることにかんがみると、表現行為に対する事前差止めは原則許されない。

例外として差止めが認められる基準について
伊藤裁判官は、補足意見で次のように説明する。「表現の自由と名誉権との調整を図っている実定法規である刑法230条ノ2の規定の趣旨を参酌しながら、表現行為が公職選挙の候補者又は公務員に対する評価批判等に関するものである場合に、それに事前に規制を加えることは裁判所といえども原則として許されないとしつつ、例外的に、表現内容が真実でなく又はそれが専ら公益に関するものでないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれのある場合に限って、事前の差止めを許すとするものである」という。

② 明確性の基準
権利・自由を規制・制限する法律の文言が不明確であれば権利の保障は不安定になるが、表現の自由については、規制する側の恣意や権力の濫用を招く危険性がとくに高い。そして、どのような表現が制限されるのかが適正に告知されず、市民の正当な表現活動を自己抑制・萎縮させる可能性が高い(萎縮効果)。したがって、表現の自由を規制する法律については、とくに厳格な明確性が必要である。

● 漠然不明確な法律規定は、文面上無効(漠然性ゆえに無効)。
※明確か否かの判断基準は、通常の判断能力を有する一般人が行為の基準として理解できるかどうか(徳島市公安条例事件、最大判S50・9・10)。
● 明確であっても規制が広汎すぎる法律規定も、文面上無効(過度の広汎性ゆえに無効)。

※最高裁が「文面上無効」とした例はない。不明確な規定であっても、憲法に適合するように限定して解釈して、規定自体を合憲としている(合憲限定解釈)。

【札幌税関事件】輸入禁止となる「風俗」の明確性が問題となったが、「性的風俗」であって「わいせつ」を意味すると合理的限定解釈できるとして合憲の判断をした。反対意見あり。

【広島市暴走族追放条例事件、最判H19・9・18】(本件条例では、定義規定で「公衆に不安若しくは恐怖を覚えさせるような特異な服装若しくは集団名を表示した服装で、い集、集会若しくは示威行為を行う集団」も暴走族と定義されている。)規制対象が「暴走族」に限定されず広汎すぎるとして争われたが、「暴走族」に限定解釈できるとして合憲の判断をした。反対意見あり。

(3)CPD、LRA
文面審査(①②)以外の場合は、事案の事実に即して規制法律の合憲性が審査される(事実審査・適用審査)。この際、規制利益と規制される表現の自由の価値とが比較衡量されることになる。

③ 明白かつ現在の危険の基準 (clear and present danger)
規制の目的に対する審査基準。
他の権利侵害の恐れや可能性があるというだけで、規制が正当化されれば表現の自由の位置は大きく揺らぐことになる。

要件

ⅰ 規制する重要な政府利益の存在
ⅱ 重大な害悪をもたらす危険の蓋然性が明白
ⅲ 表現と害悪発生が時間的に切迫
ⅳ 危険を回避するために規制することが必要不可欠 (芦部200頁)

※法律の適用の判断基準として用いられる場合もある(適用違憲となるかの判断)。
【最三判H7.3.7 泉佐野市民会館事件上告審】
※集会が開催できなかったとしても自治体は場所を提供するという積極的な行為をしなかっただけであって集会を妨げたわけではない。市民会館の利用不許可自体は表現の自由・集会の自由の保護領域に対する制限ではないため、244条を介した。
最高裁は、本件会館は「地方自治法244条にいう公の施設に当たるから、」市側は「正当な理由がない限り、住民がこれを利用することを拒んではならず(同条2項)、また、住民の利用について不当な差別的取扱いをしてはならない(同条3項)」と判示した。そして、「住民は、その施設目的に反しない限りその利用を原則的に認められ、管理者が正当な理由なくその利用を拒否するときは、憲法の保障する集会の自由の不当な制限につながるおそれが生ずる。」といって、集会の自由の問題だとした。
※集会の自由の重要性を示した。
集会の自由に対する制限は、「利用の希望が競合する場合のほかは、」施設を「利用させることによって、他の基本的人権が侵害され、公共の福祉が損なわれる危険がある場合に」、「その危険を回避し、防止するため」の「必要かつ合理的な」ものであれば是認されると判示した。
そこで、必要かつ合理的なものかは、「基本的には、基本的人権としての集会の自由の重要性と、当該集会が開かれることによって侵害されることのある他の基本的人権の内容や侵害の発生の危険性の程度等を較量して決せられるべきものである」という。そして、「このような較量をするに当たっては、集会の自由の制約は、基本的人権のうち精神的自由を制約するものであるから、経済的自由の制約における以上に厳格な基準の下にされなければならない(最大判S50.4.30参照<薬局距離制限事件>)」と示した。
※合憲限定解釈をして法令違憲とはしなかった。
次に、最高裁は、条例7条1号の「公の秩序をみだすおそれがある場合」というのは広義の表現であるが、「本件会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、本件会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、」「単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であると解するのが相当で」、このように解する限り、「このような規制は、他の基本的人権に対する侵害を回避し、防止するために必要かつ合理的なものとして、憲法21条に違反するものではなく、また、地方自治法244条に違反するものでもない」という。

参考【最二判H8.3.15 上尾市福祉会館事件上告審】
最高裁は、管理上支障が生じる場合について、管理者の主観による予測ではなく客観的な事実で判断するとした。
さらに、「主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、その集会の目的や主催者の思想、信条等に反対する者らがこれを実力で阻止し、妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことが出来るのは、公の施設の利用関係の性質に照らせば、警察の警備等によってもなお混乱を防止することができないなど、特別な事情がある場合に限られるものというべきである」と判断している。(→敵意ある聴衆の法理)

参考【最判S59.12.18伊藤正己裁判官の補足意見】パブリック・フォーラム論
「ある主張や意見を社会に伝達する自由を保障する場合に、その表現の場を確保することが重要な意味をもつている。特に表現の自由の行使が行動を伴うときには表現のための物理的な場所が必要となつてくる。この場所が提供されないときには、多くの意見は受け手に伝達することができないといつてもよい。一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない。道路、公園、広場などは、その例である。これを「パブリツク・フオーラム」と呼ぶことができよう。
このパブリツク・フオーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えられる。」

④ LRA(より制限的でない他の選びうる手段)の基準または最小限のルール
LRA: less restrictive alternative
目的手段審査を前提とした「厳格審査基準」
規制手段は、立法目的達成のために必要最小限なものでなければならない。

【旭川地判S43.3.25 猿払事件第一審】
公務員も政治的表現の自由を持つが、公務の特殊性から必要最小限であれば一定の制限もできるとして、審査に関しては、法の定める制裁方法よりもより狭い範囲の制裁方法があり、これによっても法目的を達成できるならば、法の定める広い制裁方法は法目的達成の必要最小限度を超えたとして違憲となる場合があるとの基準(LRA)を用いることを示した。
<あてはめ> 本件で問題となっている、すべての公務員につき懲戒処分に加えて決して軽くはない刑事罰を科す規定は、法目的を達成する上に合理的であると一概にはいえない。
また、本件行為は、法の禁止行為に該当するが弊害は著しく小さいものであり、これに刑事罰を加えることができる旨法定することは、行為に対する制裁としては相当性を欠き、合理的にして必要最小限の域を超えている、と示した。以上から、適用違憲とした。
※LRAから適用違憲を導き出したことには理論上問題がある。というのも、LRAの基準は、目的手段審査を前提とした審査基準であり、立法事実論の一つであって、法令違憲かどうかに用いられる枠組みである。
※本事件で最高裁は、間接的・付随的な制約と言って穏やかに審査した。

(4)厳格ではない審査
表現内容に対する制約ではないと言う考え。
内容中立規制、間接的・付随的制約。

3、参考文献

芦部信喜『憲法<第五版>』岩波書店、2011
長谷部恭男『憲法<第五版>』新世社、2011

(題材)
長谷部恭男『続・interactive憲法』有斐閣、2011、18章