論証集~憲法4~思想良心の自由、信教の自由

この記事の所要時間: 1731

思想・良心の自由

思想・良心とは

人格形成活動に関連のない内心の活動を含めるときは、思想・良心の自由の高位の価値を希薄にし、その自由の保障を軽くするものである。そこで、思想・良心とは、個人の人格形成に必要なもしくはそれに関連ある内面的精神作用をいうと解する 。CF. 「信条」(14Ⅰ後)
信念と意見は不可分なものであり、その区別は相対的なものに過ぎない。とすれば、宗教的信仰のほか、人生ないし政治に関する信念のみならず、更には具体的な政治的意見も含まれる

最大判昭31・7・4→良心の自由と謝罪広告の強制
民法723条にいわゆる「他人の名誉を毀損した者に対して被害者の名誉を回復するに適当な処分」として謝罪広告を新聞紙等に掲載すべきことを加害者に命ずることは、従来学説判例の肯認するところであり、また謝罪広告を新聞紙等に掲載することは我国民生活の実際においても行われているのである。尤も謝罪広告を命ずる判決にもその内容上、これを新聞紙に掲載することが謝罪者の意思決定に委ねるを相当とし、これを命ずる場合の執行も債務者の意思のみに係る不代替作為として民執法172条に基き間接強制によるを相当とするものもあるべく、時にはこれを強制することが債務者の人格を無視し著しくその名誉を毀損し意思決定の自由乃至良心の自由を不当に制限することとなり、いわゆる強制執行に適さない場合に該当することもありうるであろうけれど、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のものにあっては、これが強制執行も代替作為として民執法171条の手続によることを得るものといわなければならない。そして原判決の是認した被上告人の本訴請求は、上告人が判示日時に判示放送、又は新聞紙において公表した客観的事実につき上告人名義を以て被上告人に宛て「右放送及記事は真相に相違しており、貴下の名誉を傷け御迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します」なる内容のもので、結局上告人をして右公表事実が虚偽且つ不当であったことを広報機関を通じて発表すべきことを求めるに帰する。されば少なくともこの種の謝罪広告を新聞紙に掲載すべきことを命ずる原判決は、上告人に屈辱的若くは苦役的労苦を科し、又は上告人の有する倫理的な意思、良心の自由を侵害することを要求するものとは解せられないし、また民法723条にいわゆる適当な処分というべきであるから所論は採用できない。

最判平19・2・27→国歌斉唱と思想良心の自由
上告人は,「君が代」が過去の日本のアジア侵略と結び付いており,これを公然と歌ったり,伴奏することはできない,また,子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま「君が代」を歌わせるという人権侵害に加担することはできないなどの思想及び良心を有すると主張するところ,このような考えは,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に係わる上告人自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができる。しかしながら,学校の儀式的行事において「君が代」のピアノ伴奏をすべきでないとして本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,上告人にとっては,上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものということはできず,上告人に対して本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする本件職務命令が,直ちに上告人の有する上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないというべきである。
他方において,本件職務命令当時,公立小学校における入学式や卒業式において,国歌斉唱として「君が代」が斉唱されることが広く行われていたことは周知の事実であり,客観的に見て,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって,上記伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものであり,特に,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるといわざるを得ない。

麹町中学内申書事件(最判昭63・7・15)→内申書の記載内容と生徒の思想・信条の自由
本件調査書の備考欄及び特記事項欄にはおおむね「校内において麹町中全共闘を名乗り、機関紙『砦』を発行した。学校文化祭の際、文化祭粉砕を叫んで他校生徒と共に校内に乱入し、ビラまきを行った。大学生ML派の集会に参加している。学校側の指導説得をきかないで、ビラを配ったり、落書をした。」との記載が、欠席の主な理由欄には「風邪、発熱、集会又はデモに参加して疲労のため」という趣旨の記載がされていたというのであるが、右のいずれの記載も、上告人の思想、信条そのものを記載したものでないことは明らかであり、右の記載に係る外部的行為によっては上告人の思想、信条を了知し得るものではないし、また、上告人の思想、信条自体を高等学校の入学者選抜の資料に供したものとは到底解することができない。

南九州税理士会政治献金事件(最判平8・3・19)→強制加入団体の政治献金と構成員の思想の自由
税理士会が前記のとおり強制加入の団体であり、その会員である税理士に実質的には脱退の自由が保障されていないことからすると、その目的の範囲を判断するに当たっては、会員の思想・信条の自由との関係で、次のような考慮が必要である。
税理士会は、法人として、法及び会則所定の方式による多数決原理により決定された団体の意思に基づいて活動し、その構成員である会員は、これに従い協力する義務を負い、その一つとして会則に従って税理士会の経済的基礎を成す会費を納入する義務を負う。しかし、法が税理士会を強制加入の法人としている以上、その構成員である会員には、様々の思想・信条及び主義・主張を有する者が存在することが当然に予定されている。したがって、税理士会が右の方式により決定した意思に基づいてする活動にも、そのために会員に要請される協力義務にも、おのずから限界がある。
特に、政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるというべきである。なぜなら、政党など規正法上の政治団体は、政治上の主義若しくは施策の推進、特定の公職の候補者の推薦等のため、金員の寄付を含む広範囲な政治活動をすることが当然に予定された政治団体であり(規正法三条等)、これらの団体に金員の寄付をすることは、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかに密接につながる問題だからである。
そうすると、前記のような公的な性格を有する税理士会が、このような事柄を多数決原理によって団体の意思として決定し、構成員にその協力を義務付けることはできないというべきであり、税理士会がそのような活動をすることは、法の全く予定していないところである。税理士会が政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をすることは、たとい税理士に係る法令の制定改廃に関する要求を実現するためであっても、税理士会の目的の範囲外の行為といわざるを得ない。

信教の自由(20Ⅰ前)

学説判例研究~憲法~信教の自由・政教分離
信教の自由・政教分離<リーディングケース> 政教分離を訴える裁判の形態 住民訴訟  客観訴訟なので原告適格と権利侵害に関する関門がないというメリットが...

信教の自由(20Ⅰ前)

学説判例研究~憲法~信教の自由・政教分離
信教の自由・政教分離<リーディングケース> 政教分離を訴える裁判の形態 住民訴訟  客観訴訟なので原告適格と権利侵害に関する関門がないというメリットが...

信教の自由の内容

① 信仰の自由←絶対的自由
② 宗教的行為の自由
③ 宗教的結社の自由

宗教法人オウム真理教解散事件(最決平8・1・30)
大量殺人を目的として計画的、組織的にサリンを生成した宗教法人について、宗教法人法81条1項1号及び2号前段に規定する事由があるとしてされた解散命令は、専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし、宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではなく、右宗教法人の行為に対処するには、その法人格を失わせることが必要かつ適切であり、他方、解散命令によって宗教団体やその信者らが行う宗教上の行為に何らかの支障を生ずることが避けられないとしても、その支障は解散命令に伴う間接的で事実上のものにとどまるなど判示の事情の下においては、必要でやむを得ない法的規制であり、憲法20条1項に違反しない。
* もっとも、解散命令は宗教的結社の自由や内部構成員の信教の自由を侵害しうるものなので、その行使には慎重であるべきとしている。

剣道実技拒否事件(最判平8・3・8)
市立高等専門学校の校長が、信仰上の理由により剣道実技の履修を拒否した学生に対し、必修である体育科目の修得認定を受けられないことを理由として二年連続して原級留置処分をし、さらに、それを前提として退学処分をした場合において、右学生は、信仰の核心部分と密接に関連する真しな理由から履修を拒否したものであり、他の体育種目の履修は拒否しておらず、他の科目では成績優秀であった上、右各処分は、同人に重大な不利益を及ぼし、これを避けるためにはその信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせるという性質を有するものであり、同人がレポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨申し入れていたのに対し、学校側は、代替措置が不可能というわけでもないのに、これにつき何ら検討することもなく、右申し入れを一切拒否したなど判示の事情の下においては、右各処分は、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超える違法なものというべきである。
代替措置を採ることは20条3項に違反するとも主張するが、信仰上の真しな理由から剣道実技に参加することができない学生に対し、代替措置として、例えば、他の体育実技の履修、レポートの提出等を求めた上で、その成果に応じた評価をすることが、その目的において宗教的意義を有し、特定の宗教を援助、助長、促進する効果を有するものということはできず、他の宗教者又は無宗教者に圧迫、干渉を加える効果があるともいえないのであって、およそ代替措置を採ることが、その方法、態様のいかんを問わず、20条3項に違反するということができないことは明らかである。また、公立学校において、学生の信仰を調査せん索し、宗教を序列化して別段の取扱いをすることは許されないものであるが、学生が信仰を理由に剣道実技の履修を拒否する場合に、学校が、その理由の当否を判断するため、単なる怠学のための口実であるか、当事者の説明する宗教上の信条と履修拒否との合理的関連性が認められるかどうかを確認する程度の調査をすることが公教育の宗教的中立性に反するとはいえないものと解される。

日曜授業参観事件(東京地判昭61・3・20)
指導要録に出欠の記録を行うことは、単なる事実行為であり、「抗告訴訟の対象となりうる行政処分には当たらない」
授業参観を日曜日に実施することは「公教育として学校教育条十分な意義を有するものであり、かつ、法的な根拠に基づいているものであるから、」その実施の有無等は「校長の学校管理運営上の裁量権の範囲内である」
宗教行為に参加する児童に対して授業への出席を免除することは、宗教、宗派ごとに「重複・競合の日数が異なるところから、結果的に、宗教上の理由によって個々の児童の授業日数に差異を生じることを認容することになって、公教育の宗教的中立性を保つ上で好ましいことではない」だけでなく、「公教育が集団的教育としてあげるはずの成果をも損なうことにならざるを得ず、公教育が牛名ところが少なくない」
「公教育上の特別の必要性がある授業日の振替の範囲内では、宗教団体の集会と抵触することになったとしても、法はこれを合理的根拠に基づくやむを得ない制約として認容しているものと解すべきである。」
本件日曜山間授業は、「法令に基づく適法かつ正規の授業であり、原告児童らがその主張のような理由で欠席したからといって、当該児童に補充授業をしなければならない法律上の根拠はない。

政教分離(20Ⅰ後・Ⅲ、89前)

趣旨
国家の非宗教性ないし宗教的中立性
① 少数者の信教の自由の保障を補強
② 宗教との結び付きは民主主義に反することになるため、政府をかかる破壊から救う
③ 宗教をして堕落することから免れしめる

法的性質
信教の自由の保障を強化するための手段として、政教分離を制度として保障したものである(制度的保障説)。

限界
福祉国家(25以下)的給付の観点から、宗教団体であっても国家との関わり合いを一切排除することはできない。

「宗教的活動」(Ⅲ)判断基準
確かに、政教分離が間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものであることからすれば、完全分離すべきであるとも思える。しかし、国家と宗教の完全分離の実現は不可能に近く、文化財たる神社等建築物に対する助成金支出等をも認め得ないという、かえって不合理な結果を招来するため、社会的・文化的諸条件からして、厳格な分離を貫徹することができない。そこで、「宗教的活動」とは、宗教との関わり合いが社会的・文化的諸条件に照らし相当の限度超えるものをいい、それは①行為の目的が宗教的意義をもち、かつ、②効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるかを、行為の場所、一般人の宗教的評価、行為者の意図・目的・宗教的意識、一般人への影響等、諸般の事情を総合考量し、社会通念に従って客観的に判断すべきである(判例)。

*津地鎮祭事件(最大判昭52・7・13)
①政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものであるが、国家と宗教の完全な分離の実現は不可能に近く、かえって不合理な事態を生じる(特定宗教と関係のある私立学校に対する助成、文化財である神社等の建築物等の維持保存のための補助金支出、刑務所等における教誨活動を考えよ)。それゆえ、政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが右の諸条件(各々の国の社会的・文化的諸条件)に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。
②20条3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定するが、ここにいう宗教的活動とは、前述の政教分離原則の意義に照らしてこれをみれば、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。そして、この点から、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するにあたっては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。
最大判昭63・6・1→信教の自由・政教分離の原則と自衛官の合祀
信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。このことは死去した配偶者の追慕、慰霊等に関する場合においても同様である。何人かをその信仰の対象とし、あるいは自己の信仰する宗教により何人かを追慕し、その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は、誰にでも保障されているからである。原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。

愛媛県玉串料訴訟(最大判平9・4・2)
愛媛県が宗教法人靖國神社の挙行した恒例の宗教上の祭祀である例大祭に際し玉串料として九回にわたり各5000円(合計4万5000円)を、同みたま祭に際し献灯料として四回にわたり各7000円又は8000円(合計3万1000円)を、宗教法護國神社の挙行した恒例の宗教上の祭祀である慰霊大祭に際し供物料として9回にわたり各1万円(合計9万円)を、それぞれ県の公金から支出して奉納したことは、一般人がこれを社会的儀礼に過ぎないものと評価しているとは考え難く、その奉納者においてもこれが宗教的意義を有するものであるという意識を持たざるを得ず、これにより県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができないのであり、これが、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており右宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないなど判示の事情の下においては、憲法20条3項、89条に違反する

最判平18・6・23→総理大臣の靖国参拝による法的利益の侵害の有無
人が神社に参拝する行為自体は,他人の信仰生活等に対して圧迫,干渉を加えるような性質のものではないから,他人が特定の神社に参拝することによって,自己の心情ないし宗教上の感情が害されたとし,不快の念を抱いたとしても,これを被侵害利益として,直ちに損害賠償を求めることはできないと解するのが相当である。上告人らの主張する権利ないし利益も,上記のような心情ないし宗教上の感情と異なるものではないというべきである。このことは,内閣総理大臣の地位にある者が靖國神社を参拝した場合においても異なるものではないから,本件参拝によって上告人らに損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとはいえない。
したがって,上告人らの損害賠償請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がないものとして棄却すべきである(なお,以上のことからすれば,本件参拝が違憲であることの確認を求める訴えに確認の利益がなく,これを却下すべきことも明らかである。)。

箕面忠魂碑・慰霊祭訴訟(最判平5・2・16)
①市が忠魂碑の存する公有地の代替地を買い受けて右忠魂碑の移設・再建をした行為及び右忠魂碑を維持管理する地元の戦没者遺族会に対しその敷地として右代替地を無償貸与した行為は、右忠魂碑が、元来、戦没者記念碑的性格のものであり、特定の宗教とのかかわりが、少なくとも戦後においては希薄であること、右戦没者遺族会が宗教的活動をすることを本来の目的とする団体ではないこと、市が右移設・再建等を行った目的が、右忠魂碑の存する公有地を学校用地として利用することを主眼とするもので、専ら世俗的なものであることなど判示の事情の下においては、いずれも憲法20条3項により禁止される宗教的活動には当たらない。
②憲法20条1項後段にいう「宗教団体」、憲法89条にいう「宗教上の組織若しくは団体」とは、宗教と何らかのかかわり合いのある行為を行っている組織ないし団体のすべてを意味するものではなく、国家が当該組織ないし団体に対し特権を付与したり、また、当該組織ないし団体の使用、便益若しくは維持のため、公金その他の公の財産を支出し又はその利用に供したりすることが、特定の宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になり、憲法上の政教分離原則に反すると解されるものをいうのであり、換言すると、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体を指すものと解するのが相当である。
③市の教育長が地元の戦没者遺族会が忠魂碑前で神式又は仏式で挙行した各慰霊祭に参列した行為は、右忠魂碑が、元来、戦没者記念碑的性格のものであること、右戦没者遺族会が宗教的活動をすることを本来の目的とする団体ではないこと、右参列の目的が戦没者遺族に対する社会的儀礼を尽くすという専ら世俗的なものであることなど判示の事情の下においては、憲法上の政教分離原則及び憲法20条、89条に違反しない。

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