論証集~憲法~教育を受ける権利

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教育を受ける権利(26)

背景

思うに、今日では国民の生活水準が向上し、これに伴い国民の求める教育水準も向上しており、高等教育の必要性が高まっている。そして、国民が高等教育を受けるためには、国による金銭的支援を含めた条件整備が不可欠である。そこで、26条は、国民が自ら望むような教育を受けることができるという自由権的側面と共に、国民が国に対して教育諸条件整備を求めることができるという社会権的側面を併有するものと解する。

学習権

一般に子供が教育を受け学習し、人間として発展・成長していく権利

旭川学テ事件(最大判昭51・5・21)
憲法26条の「規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、自ら学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在している」

神戸地判平4・3・13 →身障少年の教育を受ける権利
確かに、障害を有する個々の児童、生徒につき、具体的にどのように教育を受ける権利が実現されるベきであるかについては議論があるところであり、当裁判所も、障害を有する児童、生徒を全て普通学校で教育すべきであるという立場に立つものではない。しかし、本件に関していえば、学校教育法施行令22条の2は、その上位規範である学校教育法71条、71条の2からも明らかなように、少なくとも高等学校入学の学齢に達した障害者につき養護学校等へ就学させる義務を規定したのではなく、障害者の普通高等学校への入学を否定する法令も存しない。そして、たとえ施設、設備の面で、原告にとって養護学校が望ましかったとしても、少なくとも、普通高等学校に入学できる学力を有し、かつ、普通高等学校において教育を受けることを望んでいる原告について、普通高等学校への入学の途が閉ざされることは許されるものではない。健常者で能力を有するものがその能力の発達を求めて高等普通教育を受けることが教育を受ける権利から導き出されるのと同様に、障害者がその能力の全面的発達を追求することもまた教育の機会均等を定めている憲法その他の法令によって認められる当然の権利であるからである。

法的性質

憲法が福祉国家理念に基づいて26条を定めた趣旨からすれば、法規範性を認めるべきである。もっとも、「教育を受ける権利」の内容は広範かつ多面的であり、一義的に決しえず、裁判規範性が認められるためには、立法による具体化が必要である。よって、教育を受ける権利は、抽象的権利にとどまると解する。

今日においては、教育基本法・学校教育法の制定により、26条の内容は相当程度に具体化されているため、「教育を受ける権利」は、法律と併せて裁判規範性を有し、同上違反を理由に司法的救済を求めることができる

教育内容の決定権能

現場において児童に接し教育を実践するのは教師であるところ、教師に一定の裁量を認めるべきである。もっとも、児童生徒に教授内容を批判する能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有すること、また、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、全国的に一定の水準を確保すべき要請があること等からすれば、教師に完全な教授の自由を認めることできない。そこで、必要かつ相当と認められる範囲において、国による介入も認める。但し、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植え付けるような内容の教育を施すことを強制するようなことは許されない。

旭川学テ事件(最大判昭51・5・21)
「子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない。・・・(しかし、)児童生徒に・・・〔教授内容を批判する〕能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等を図る上からも全国的に一定の水準を確保すべき要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、到底許されない。
・・・親は、子どもに対する自然的関係により、子どもの将来に対して最も深い関心をもち、かつ、配慮をすべき立場にある者として、子どもの教育に対する一定の支配権、すなわち子女の教育の自由を有すると認められるが、このような親の教育の自由は、主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられるし、また、私学教育における自由や前述した教師の教授の自由も、それぞれ限られた一定の範囲においてこれを肯定するのが相当であるけれども、それ以外の領域においては、一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する。」
もっとも、「教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請され、・・・子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植え付けるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定上からも許されない」

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