論証集~刑法各論~放火罪

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放火罪

「焼損」の意義

放火罪の既遂時期が、「焼損」の意義と関連して問題となる。
思うに、108条は、燃焼によって、公共の危険すなわち不特定多数人の生命・身体・財産への危険を生じさせる罪である。
(そして、いまだ木造建造物が多数である日本国の現状に鑑みれば、放火の客体が独立燃焼しうる状態に達すれば、公共の危険が発生したといえる。)
そこで、火が放火の媒介物を離れ目的物に燃え移り独立に燃焼する状態に達したときに「焼損」したものとして既遂となると解する(判例)。

不燃性建造物の既遂時期

難燃性建物の場合には修正する見解もあるが、放火罪は燃焼による公共危険罪であり、焼損によって公共の危険が生じることを予定している以上、妥当でない。

現住性

1 現住性の判断
現住建造物とは、現に人の起臥寝食の場所として日常使用されるものをいう。
では、居住者が旅行等にいった場合に、現住性は失われるか。
思うに、108条は不特定人の生命・身体・財産に対する抽象的危険犯であるところ、訪問者の立ち入る可能性などを考慮すると、現住性が失われたといえるためには、起臥寝食の場所としての使用形態に客観的変更を生じたことが必要であると解する。
よって、居住者が旅行に行った場合に現住性は失われない。

2 建造物の一個性
建物の一体性をどのように判断すべきか。
思うに、108条は抽象的危険犯である以上、構造的一体性があれば危険は存するから、構造的一体性から全体を一個の客体と考えるのが原則である。
もっとも、108条が重く処罰する根拠は、現住建造物に対するほうかは類型的に人の生命・身体・に対する重大な危険を生ぜしめるものであり、厳重処罰が必要だからである。
かかる趣旨に鑑みれば、現住部分への延焼可能性がなければ108条の予定する人の生命・身体に対する類型的危険はなく、一体性は否定されるべきである。
そこで、建物の一体性は、延焼可能性を考慮した構造的一体性によって判断されるべきと解する。

機能的一体性をも考慮する見解もあるが、抽象的危険犯である108条の成立範囲をさらにあいまいにするものとして、妥当でない。

「公共の危険」の意義

「公共の危険」(109Ⅱ、110Ⅰ)は108条1項、109条1項所定の建造物への延焼の危険に限られるか。
思うに、放火罪は不特定多数人の生命、身体、財産に対する危険犯であるから、108条及び109条1項所定のものに限定される理由は無い。
よって、108条及び109条1項所定の建造物に対する危険に限られないと解する。

「公共の危険」の意義

「公共の危険」(109Ⅱ、110Ⅰ)は108条1項、109条1項所定の建造物への延焼の危険に限られるか。
思うに、放火罪は不特定多数人の生命、身体、財産に対する危険犯であるから、108条及び109条1項所定のものに限定される理由は無い。
よって、108条及び109条1項所定の建造物に対する危険に限られないと解する。

*最決平15・4・14
1 刑法110条1項にいう「公共の危険」は、同法108条及び109条1項に規定する建造物等に対する延焼に限られるものではなく、、不特定又は多数の人の生命、身体又は前記建造物等以外の財産に対する危険も含まれる。
2 市街地の駐車場において、放火された自動車から付近の2台の自動車に延焼の危険が及んだことなど判示の事実関係の下では、刑法110条1項にいう「公共の危険」の発生が認められる。

公共の危険の認識

108条、109条1項の成立に公共の危険の発生は必要か

この点、109条2項及び110条のように「公共の危険」の発生が要求されていない以上、108条及び109条1項は、抽象的危険犯である。
そして、所定の行為がなされれば、抽象的危険の発生が擬制されているものと解する。

公共の危険発生の認識(109条2項、110条2項の場合)

109条2項の主観的要件として「公共の危険」の発生の認識が必要か。
「罰しない」との文言から、「公共の危険」は客観的処罰条件であり、認識不要とも思えるため問題となる。
論証
(思うに、109条2項の行為を公共危険罪たらしめる契機は、当該行為により公共の危険を生ぜしめる点にあり、故意の内容としてその危険の認識が必要なのは責任主義の見地から当然である。)
また、本来自己物の毀損は適法であるところ、かかる行為が罰せられるのは「公共の危険」を生じさせることが違法性を有するからにほかならない。
とすれば、「公共の危険」は構成要件要素と解される。
よって、構成要件要素である以上、公共の危険の発生の認識は故意の内容である。

2 公共の危険発生の認識(110条1項の場合)
問題意識
110条1項の主観的要件として「公共の危険」の発生の認識が必要か問題となる。
「よって」という文言から、同条項は結果的加重犯であり、「公共の危険」の認識は不要[104]とも思えるため問題となる。
論証
(思うに、公共の危険の認識を不要とすると安易に結果責任を認めることになる、責任主義に反する。)
この点、結果的加重犯は、基本犯と過重結果とは同質のものでなければならないが、自己物放火(110条2項)は公共の危険を欠けば犯罪自体成立せず、他方、他人物放火は(110条1項)も公共の危険を欠けば不成立で器物損壊罪ということになるが、公共危険犯の基本犯を個人的法益に対する罪である器物損壊罪とするのは同質性を欠く。
また、毀棄罪に比べ格段に法定刑が重いこと、自己物についても放火罪が成立することに鑑みれば、「公共の危険」は構成要件要素であると解すべきである。
したがって、構成要件要素である以上、公共の危険発生の認識は必要と解する。

3 公共の危険発生の認識(109条2項、110条2項と110条1項を分けない論じ方)
そもそも、放火罪は公共危険罪であり、公共の危険が処罰根拠の中核をなす以上、その点の認識を不要とするのは責任主義に反する。
したがって、公共の危険発生の認識は必要であると考える。

4 公共の危険の認識と108条及び109条2項の故意
この点、公共の危険の認識と108条及び109条2項の故意は区別できないとの批判がある。
しかし、公共の危険の認識には、有毒ガスや煙の発生による危険の認識も含まれるし、延焼の故意は、延焼の結果とそれに至る因果経過の基本部分の認識を要するのであるから、単なる危険の発生の認識である公共の危険の認識とは明らかに区別できる。
よって、かかる批判は妥当でない。

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