レポート集~地方自治~日本国憲法以前の地方自治制度

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地方自治レポート

現憲法以前の地方自治制度

1、はじめに
日本の地方自治制度は、西尾勝によると以下の4つの時期に時代区分することができる。

第1期は明治維新から明治13年ころまでの明治維新時代。第2期は明治11年の三新法と明治13年の区町村会法により、初めて地方制度と呼ぶべきものが整備され運用された三新法時代。第3期は明治21年の市制町村制、明治23年の府県制と郡制の制定公布に始まり、太平洋戦争に敗北し降伏した時点までの明治憲法時代。第4期は戦後改革から今日にいたるまでの新憲法時代である。(西尾勝『行政学(新版)』有斐閣、2001年、72頁)

本レポートでは、この時代区分に従い、日本国憲法以前である第3期の明治憲法時代までについてまとめる。

2、明治維新時代
当初、明治政府が直接に支配できたのは、江戸幕府から引き継いだ幕府直轄地のみであった。中央集権化による政府の統制力の強化を図っていた明治政府は、この状態を打破すべく、明治2年の版籍奉還と明治4年の廃藩置県の措置をとった。これにより、藩は消滅し府県制へと移行したが、藩をそのまま県に置き換えたため3府302県を数えた。現在に近い状態になるには、明治4年10~11月に3府72県に統合されから、明治22年に北海道を除く3府43県となるまで時間を要した。また、廃藩置県後の府知事・県令は他府県人が登用することによって、旧藩勢力の封じ込めを進めた。
明治政府は町村に関しては、従来どおり庄屋や名主、年寄といった町村役人の手に委ねておけばよいと考えていた。しかし、明治4年に全国民の戸籍を整備するために戸籍法を制定していて、戸籍事務を処理する体制として全国に区を設置し、この区に戸長、副戸長といった国の役人を任命していたのである。明治5年には戸籍調査を実施し、初の戸籍(壬申戸籍)を編製したが、政府はこれを機に町村自治に深く介入するようになる。
明治5年に発した太政官布告は、旧町村役人廃止と行政区画の区制による統一を命じたものであった(大区・小区制)。戸籍法によって設置された区を大区と改称し、旧来の町村単位に小区を設け、廃止した町村役人を小区の戸長、副戸長と改称させ戸籍事務を担わせたのである。大区・小区制は、本来戸籍事務のために設定されたものであったが、区は一般目的のための行政区画に変わり、国の地方行政と町村の地方自治とが融合し始めたのである。

3、三新法時代
三新法とは、明治11年に制定された、郡区町村編制法、府県会規則、地方税規則の、地方制度に関する3つの法律の総称である。この三新法の制定には、大久保利通の「地方体制等改正之議上申」を前提としたものであって、明治維新時代の過剰な中央集権体制を緩和し、地方の不平や騒乱を収めようとした大久保の考えが反映されたものであった。
(イ)郡区町村編制法は、府県と町村との間の中間行政機関として郡を新設した。また、農村地方との区別を図るため、三府五港その他人民輻湊の地を区とした。さらに、それまでの大区小区のような人為的な行政区画を廃止することで、江戸時代から存在した村を地方行政の末端単位として公的に認めたのである。
(ロ)府県会規則は、府県会は公選議員で組織されるとしたが、議員の選挙権・被選挙権はそれぞれ地租5円以上、10円以上の納入者に限定した。さらに、議案は地方税で支弁すべき経費の予算およびその徴集方法に限られ、府知事・県令が議案提出権を握り、かつ府県会に再議を命じたり原案執行権を持つことができるなど、府県会の権限はきわめて弱いものとなった。
(ハ)地方税規則は、従来の府県税・民費などを地方税として統一し、地租5分の1以内の地租割、営業税、雑種税、戸数割に制限した。府県は府県会議決を経て、この地方税で警察費その他、国政委任事務費を支弁した。この規則は、国家の地方行政機関である府県の財政の確立をねらったものである。
こうした三新法時代の地方制度には、郡部(農村部)と区部(都市部)を区別する発想が現れていた。また、地方団体に国の地方行政機構と自治体という二重の性格をもたせる発想が現れていたことも大きな特徴である。

4、明治憲法時代
明治憲法時代は、新たな地方自治制度を確立し、大きな成果を見せる。明治21年の市制・町村制や、明治憲法が公布された後、明治23年の国会開設と同時に制定された府県制・郡制によって明治憲法時代の地方自治制度は形成される。はじめに、郡を地方団体として、地方制度を府県、郡市、町村からなる3層構造とした。町村、市については、地方自治の区画としたうえで、市、町、村と称する独立の法人格を有する自治体を設置した。そしてこれらの自治体の長を国の機関とした。
(イ)町村制は、町村に公選の議員からなる町村会を設置した。町村長は、この町村会が選挙し、町村長が町村会の議長を兼任することとした。町村会議員の選挙制度は、有権者たる公民を納税額に応じて2等級に区分し、各級の公民が議員の半数を選挙するという2等級選挙制度がとられた。また、町村の執行機関は、町村長と助役であるとしたが、町村会から選出された後、府県知事から認可を受けることが義務付けられ、府県知事の統制の下に町村の自治権は成り立っていた。
(ロ)市制は、東京、京都、大阪の3大都市を除く一般の市には、町村と同様に、市会の設置が認められ、概括的な授権がなされ、条例の制定権も与えられた。しかし、市会議員の選挙制度は、公民を3等級に区分する3等級選挙制度であった。また、市長は、市会が推薦する3名の候補者の中から、上奏し裁可を請うという手順を踏んで選任された。さらに市には、市長を議長として、助役と、市会によって選挙される名誉職参事会員によって構成される市参事会が設置された。これを市の執行機関し、市の自治権は町村よりも制約されたのである。なお、市制・町村制には、市制特例が施行された。東京市、京都市、大阪市には市長と助役はおかれずに、府知事と府書記官がその職務をおこなうこととされたのである。すなわち、3大都市に自治権を賦与することをためらった結果である。
(ハ)郡制は、三新法時代では行政区画に過ぎなかった郡を、町村を包括する地方団体として郡会を設置した。ただし、郡会議員は町村議員による複選制が採用された。郡参事会は、郡長を議長として、名誉職参事会員によって構成した。
(ニ)府県制は、三新法時代と同様に、府県に府県会を設置した。ただし、議員の選挙は、郡会議員、郡参事会員、市会議員、市参事会員による複選制に改めた。執行機関は知事とし、府県会と府県参事会を議決機関とした。また、府県参事会は、府県会の委任による議決権、議案に対する意見陳述書および出納検査権など、他の市町村監督事務への参与権が認められた。これによって、府県を通じた国家の地方公共団体に対する指揮監督権を確立させたのである、
こうした明治憲法時代の地方制度は、市町村の地方自治を従来よりも格段に強化する一方で、府県に関しては複選制を導入することで府県会の議員構成を改め、その議決権限を明確に限定するなど、府県の官治団体としての性格を強化したものであった。

参考文献
西尾勝『行政学(新版)』有斐閣、2001年、72~80頁
堀江湛(監修)魚谷増男(編集)『現代地方自治の基礎知識』ぎょうせい、1994年、9~25頁

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