学説判例研究~憲法~憲法学上の古典的思想

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憲法学上の古典的思想

そもそも近代憲法の人権保障体系は、「人の生来の自由や権利の名において、国家が国民を支配する限界を示そうとするもの」(野中・中村・高橋・高見『憲法Ⅰ 第3 版』511 頁)であり、ロックやモンテスキュー、ルソーなどの主張した自然権思想や社会契約論の影響を受けて、18 世紀末の市民革命の結果として開花したものである。社会契約論は、公と私を分けるという考え方に立脚しているため、これを受けた近代憲法は、「国家」対「個人」の関係が規律されているのみで、その他の中間団体や家族といったものは取り込まれていない。
これに対し、20 世紀後半から、共同体論(コミュニタリアリズム)やフェミニズムの立場から、このような人権保障体系のもとになった社会契約論や、社会契約論からJ.ロールズが発展させたリベラリズムに対する批判が試みられている。

社会契約論

ロックやルソーといった17~18 世紀の啓蒙思想家は、近代自然法(自然権)思想を提唱した。この思想によれば、①人間は生まれながらにして自由かつ平等であり、生来の権利(自然権)をもっている、②その自然権を確実なものとするために社会契約を結び、③政府が権力を恣意的に行使して人民の権利を不当に制限する場合には、人民は政府に抵抗する権利を有する。こうした政治社会の成立が個人の間での契約に基づいており、そのために政治権力は正当性をもつとする理論のことを社会契約論という。
例えば、T.ホッブズはその目的を無秩序な自然状態の克服であるとし、J.ロックはその目的を私有財産を含む個人の自由権の保障であるとした。また、J.J.ルソーは、1762 年に『社会契約論』を著し、社会を構成する各個人は自分の財産・生命を含む一切を「一般意思」に譲渡し、主権が人民に存するような社会を構想した。
このような思想に支えられて、1776 年から89 年にかけてのアメリカ諸州の憲法、1788 年のアメリカ合衆国憲法、1789 年のフランス人権宣言、91 年のフランス第一共和制憲法などが制定された。(芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法第3 版』6 頁)

○ 公私二分論
「公私二分論」は、近代憲法学が自明視してきた家族関係に憲法=人権保障を及ぼさない考え方である。そもそも近代憲法は、最小限度の政府の役割を背景にして形成された。アメリカでも、フランスでも、憲法は国民に自由を保障し、政府はその濫用を規制し、国内的には必要最小限度の秩序を維持することをもって足りるものと考えられていた。ここには、政府の公的な領域と政府の権限の及ばない私的な領域を区別し、政府の権限がなるべく及ばないようにすることを憲法の目的とする考え方があった。中山道子は、公私二分論を次のように説明する。
「「政治」対「家族」という形での近代的な公私二元論の思考枠組みの意義を、世界に先駆けて、最も明確な形で提供した思想家は、ジョン・ロックである。彼は、1690 年の『統治二論』において、社会を「政治社会」と「家族社会」に分けて理解するべきことを宣言した。……このような定式自体は、もちろんアリストテレス(『政治学』)以来の古典的なものであったが、ロックにおいては、それは特定の当面の目的に基づいて、新たに採用されたものであった。家父長制的な王権神授説に基づいて絶対王政論を展開したサー・ロバート・フィルマーの著作、『パトリアルカ』が、彼の死後、王党派の手によって1680年に発表されたのに対して反駁を加えるため、つまり、封建制度が崩壊しつつある中、近代的な政治意識の芽生えの中で台頭する絶対主義に対抗する契約主義的な市民的統治理論を提示するためである。」(中山道子『公私二元論崩壊の射程と日本の近代憲法学』1999, 法の臨界Ⅰ所収)

現代リベラリズム

「歴史的にみてみると、自由主義は絶対王政下での国王の恣意的な権力行使を批判し、権力を人民の同意の下におく、権力規制の論理として出発した。たとえば、近代社会契約論の代表者である、J.ロックは、権力の正統性の起源を人民の同意に求め、権力の目的を人民の「生命、自由、財産」の保持においたのである。これは権力の恣意的発動を抑制する論理であり、同時に権力を個人の幸福追求の外的条件維持におく論理でもある。このロックの発想は、後の自由主義さらには現代リベラリズムにも通じるものである。
近年、自由主義の思想史的整理を進めているJ.グレイは自由主義の伝統に共通する四つの概念を次のように説明している。「それは、いかなる社会集団の要求にたいしても個人の道徳的優位を主張するということにおいて個人主義的であり、すべての人々に同じ道徳的地位を付与し、人間の間の道徳的価値における法的または政治的差別の重要性を否定するかぎりにおいて平等主義的であり、人類の道徳的一体性を主張し固有の歴史的結社や文化形式には副次的重要性しか与えないという点で普遍主義的であり、すべての社会制度や政治的仕組みの修正可能性と改善可能性とを主張することにおいて改革主義的である」(グレイ1991, 4-5 頁)。このようにグレイは、個人主義、平等主義、普遍主義、改革主義の四概念が自由主義に共通するとしている。もちろん、この四概念を具体的にどう定義するのかによって、つまりどんな規範内容をそれらに盛り込むのかによって、自由主義思想のさまざまなヴァリエーションが可能になる。現代の自由主義、つまりリベラリズムもグレイの指摘する四概念を基本的にもちつつも、それらに独自の規範内容を盛り込もうとしている。そしてその盛り込み方の違いが、リベラリズム内部での規範内容の違いをもたらすのである。」(有賀誠・伊藤恭彦・松井暁『ポスト・リベラリズム 社会的規範理論への招待』4-5 頁, 2000 年)

コミュニタリアニズム(共同体論)からの批判

「「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」、「共同体内において規定された身分から個人相互の契約へ」。従来の規範理論では、中世的世界から近代社会が成立してゆくのにともない、個人は共同体から独立した存在であると見なされるようになり、個人相互、あるいは個人と国家の関係における正義や規範がその主要な問題とされてきた。しかし近年、現代リベラリズムに典型的なそのような規範理論の近代的前提に挑戦する理論が出現し、北米の社会を中心に議論が活発化している。このコミュニタリアニズム(共同体主義)と呼ばれる古くて新しい思想は、アリストテレスやヘーゲル、そしてトクヴィルの思想を継承しつつも、現代のアクチュアルな諸問題に取り組み、次のような問いを従来の規範理論に対して投げかけている。近・現代社会においても、コミュニティの価値や善good は、個人の尊厳や権利によって克服されれるべき何かであるのではなく、むしろその不可欠な先行条件あるいは必要条件なのではないか。現代の政治・経済をとりまくさまざまな諸問題を理解し、克服するために、個人と国家、あるいは市場だけでなくコミュニティを政治や経済の重要な領域として再構築していく必要があるのではないか。またもし個人の権利とコミュニティの価値双方が必要ならば、そのバランスを維持し、民主主義的なコミュニティを形成するためにいかなる実践が必要なのか。」(有賀誠・伊藤恭彦・松井暁『ポスト・リベラリズム 社会的規範理論への招待』86-87 頁, 2000 年)

フェミニズムからの批判

1960 年代以降に台頭してきたいわゆる「第2 派フェミニズム」は、以下の4 つの命題において公私二分論を批判している(井上達夫「フェミニズムとリベラリズム―公私二元論批判をめぐって」ジュリストNo.1237)。
①家族関係や性愛など親密な人間関係を公権力が介入できない個人的・私的領域として聖域化する公私二元論にリベラリズムはコミットしている。しかし、②この私的領域とされた空間こそ、女性に対する男性の家父長的支配や性暴力が日常的に実践され、性別分業観が再生産される現場である。その結果、③リベラルな公私二元論は私的領域における女性への抑圧・差別を放縦化すると同時に、公的領域の脱ジェンダー化された制度的外観によってか
かる「私的」な抑圧・差別を隠蔽している。したがって、④フェミニズムはリベラルな公私二元論を破棄し、個人的・私的領域の隠蔽された権力性を暴露し、それと対抗する政治的改革実践をこの領域にこそ貫徹しなければならない。

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