問題解答例~リーガルクエスト憲法1-7章

問題解答例~リーガルクエスト憲法1-7章

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第7章 裁判所と司法権

問題1

現行法上の訴訟のうち、どのようなものが客観訴訟として、説明されているだろうか。それらのうち、主観訴訟としての説明が可能なものは、どの程度あるだろうか。


主観訴訟とは、国民の個人的な権利利益の保護を目的とするものである。裁判所法3条1項にいう法律上の争訟に当たり、憲法上の要請として司法裁判所の権限に含まれる。一方、客観訴訟とは、客観的な法秩序の維持の為に、原告の個人的な権利利益とは無関係に、行政作用の適法性を担保することを目的とするものである。裁判所法3条1項にいう法律上の争訟に当たらず、「その他法律において特に定める権限」に含まれる。憲法上要請される裁判所の権限ではないので、具体的にどのような訴訟類型を置くかは立法政策の問題となる(櫻井橋本268頁)。

行政事件訴訟には、抗告訴訟、当事者訴訟、民衆訴訟、機関訴訟がある(行政事件訴訟法(以下「行訴」)2条)。抗告訴訟と当事者訴訟は主観訴訟であり、民衆訴訟と機関訴訟は客観訴訟である。

民衆訴訟とは、「国又は公共団体の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟で、選挙人たる資格その他自己の法律上の利益にかかわらない資格で提起する」ものである(行訴5条)。ただし、誰でも自由に訴えを提起できるわけではなく、法律に特別の定められた者のみが訴えを提起できる(行訴42条)。具体例として、選挙に関する訴訟(公職選挙法203,204,207,208条)、住民訴訟(地方自治法242条の2)がある。

機関訴訟とは、「国又は公共団体の機関相互における権限の存否又はその行使に関する紛争についての訴訟」である。民衆訴訟と同じく、法律に特別に定められた場合に、法律に定める者に限り、訴えを提起することができる(行訴42条)。

では、客観訴訟のうち、主観訴訟としての説明が可能なものはあるだろうか。
まず、民衆訴訟について、議員定数不均衡訴訟が主観訴訟として説明ができる。

議員定数不均衡違憲判決(最大判昭和51年4月14日)裁判官岸盛一の反対意見
「本件のような訴訟は、選挙人らが、選挙権の不平等を理由に選挙無効を訴求するもの、すなわち、選挙法規の基礎をなす議員定数配分規定(以下、配分規定という。)が各選挙区間に不平等であつて憲法の要求に反するものであることを前提とするものなのである。そして、この種訴訟の原告は、選挙人として当該選挙区に属する有権者全体のための救済を求めると同時に、原告自身が選挙人として受けた権利侵害の救済を求めるものと解されるのであつて、民衆訴訟的な面のほかに抗告訴訟的な面をも併せもつ特殊な訴訟形態であると考えられるのである。」

次に、機関訴訟について、地方公共団体と国との係争がある。

大阪府国民健康保険審査会事件
沖縄代理署名訴訟
地方自治法上の国地方係争処理委員会について

問題2

合衆国憲法では、最高裁判所を含む連邦裁判官は、大統領が、上院の助言と承認を得て、任命することになっている。このため、最高裁判所の裁判官になろうとする者については、かなり立ち入った議論が、上院で行われ、候補者本人からの意見聴取も相当詳細に行われることが通例となっている。そして、時には、最高裁裁判官の人事が、重大な政治問題と化し、大統領の指名が上院で退けられることもある。とくに近年、その傾向が強い。日本国憲法下で、同様の仕組みを法律で構築することは可能であろうか。もし不可能であると考える場合、どのような工夫をすれば、類似の仕組みを構築することが可能になるであろうか。

わが国では、最高裁判所の長たる裁判官は、内閣の指名に基づいて、天皇が任命し(6条2項)、その他の裁判官は、内閣が任命し(79条1項)、天皇が認証する(裁判所法39条3項)。なお、1948年改正前の裁判所法では、最高裁判所判事の任命は、裁判所任命諮問委員会の諮問を経なければならないとされていたが、内閣を拘束するならば違憲である(テキスト283頁)。

現行憲法下で、内閣を拘束する議会の関与を制度とすることはできない。しかし、内閣を拘束するような権利を付与しない形の諮問機関を設けて、その委員を国会議員から選出し、裁判官候補者から意見聴取などの調査を行い、機関の意見を内閣に答申できる、とする制度は可能であると考える。

問題3

宝塚パチンコ店建築中止命令事件に対する学説からの批判に対する反論として、もし同事件で法律上の争訟性を認めるとすれば、①国が納税義務者に対し税務職員への帳簿書類の提出を求める訴訟、あるいは、②国が転任命令を受けた公務員に対し転任先で勤務することを求める訴訟などが認められることになるのではないかと述べるものがある。この反論は正当か。

宝塚パチンコ店建築中止命令事件で最高裁は、国・地方公共団体が「財産権の主体」として「自己の権利利益の保護救済を求める場合」と、「行政権の主体」として「国民に対して行政上の義務の履行を求める」場合とを峻別した上で、法律上の争訟とは前者にのみ関わるものであるとして、後者を除外した。

批判する学説-行政判例百選1 第5版112事件解説(太田照美)
「本判決の根拠は,司法的執行制度と行政上の強制執行制度の二元的制度に立脚するものであるが,それは公法・私法二元論にたつ戦前の行政法制度に由来し,日本国憲法の司法国家原理にあわないとする批半がある(高木光・平成14年度重判解〔ジュリ1246号〕45貢以下)。しかし,公法と私法の二元論自体は,けっして公法関係を法関係ではないとするものではなく,公法と私法の区別を前提としても日本国憲法の司法権の範囲が私法上の法律関係に限られるとするのは何人も支持しないとされうる(塩野宏『行政法2〔第4版〕』〔2005〕254貢)。

また,行政処分により課せられた義務に対し,国民が取消訴訟を提起することが法律上の争訟として許されるのに,行政主体の側から義務の履行請求として訴訟を提起することが「法律上の争訟」にならないとするのはおかしいとする理論(阿部泰隆・法教267号38貢)がある。また本件の場合,もし行政上の法律関係を否定すると,命令の相手方からの取消訴訟は法律関係に関する訴訟ではなく,取消訴訟制度がなければ相手方には義務の不存在を争う手だてがないことになるが,そうだとすると現行取消訴訟制度は本来の司法権の作用を超えたものとなるとの問題が指摘されうる(塩野・前掲253頁)。

さらに,本判決は純近代法的二面関係を前提としているが,現代の行政法関係は,むしろ三画的利害調整モデル,あるいは三面関係・多極間関係の構造に基づいているとし,本判決とは異なった理解を導き出す理論がある(田村泰俊・自治研究80巷2号131頁,なお阿部泰隆『行政訴訟要件論』〔2003〕151貢参照)。すなわち,アメリカ法では,公共性は国民・住民の具体的権利の総和であるとする原理に基づいて,公共部門が国民・住民を代表する訴訟がみられるとする(田村・前掲131貢。小田急訴訟最高裁判決・〔卓大判平成17・12・7判時1920号13貢一本書II-176事件〕において,藤田宙靖裁判官補足意見は,公益を私益の維合体として捉える)。」

<藤田宙靖裁判官補足意見・小田急訴訟最高裁判決>
「公益一般」とは,例えば土地収用の場合などのように,「私益」と対立する「公益」なのではなく,「個々の利益の集合体ないし総合体」としての「集団的利益」なのであるから,そこに「個人的利益」が内含されていることは,むしろ当然のことなのであって,そうでないというならば,むしろそのことについて法律上明確な根拠が示されるのでなければなるまい。

最高裁判例解説-宝塚パチンコ店建築中止命令事件(福井章代)
「私人が行政上の義務を負うからといって、直ちに行政主体と私人の間に債権債務関係があるとか、行政主体が私人に対して行政上の義務の履行を求める請求権を有するなどと解することは困難であると思われる。すなわち、行政上の義務には、法令により直接命じられるものと、行政庁が法令に基づいて発した行政処分によって命じられるものとがあるが、いずれの場合であっても、行政上の権限は、通常、公益確保の為に認められているにすぎないのであって、財産的権利に由来する場合を除いては、行政主体がその実現について主観的な権利を有するとは解し難い。」

もし、国民の一般的、抽象的な義務を定めているものに過ぎない法令の規定から、国又は地方公共団体が特定の人に対して特定の行政上の義務の履行を求める請求権を取得するならば、「例えば、国が納税義務者に対し税務職員への帳簿書類の提出を求める訴訟」等が認められることになる。」また、行政処分により命じられる行政上の義務についても、「その内容は実に様々であって、行政処分が発せられたからといって直ちに国又は地方公共団体がその名宛人に対して当該行政処分の内容の実現を求める請求権を取得することになるとは解し難い」。「これを肯定すると、例えば、国が転任命令を受けた公務員に対し転任先で勤務することを求める訴訟」等が認められることになる。「もっとも、法律に特別の規定がある場合には、行政上の義務の履行を求める訴訟も裁判所法3条1項後段にいう『その他法律において特に定める権限』として裁判所の裁判権の範囲に属せられることになる。

「同事件で法律上の争訟性を認めるとすれば、①国が納税義務者に対し税務職員への帳簿書類の提出を求める訴訟、あるいは、②国が転任命令を受けた公務員に対し転任先で勤務することを求める訴訟などが認められることになるのではないか」という指摘に対しては、判例を批判する学説の言う行政法関係や公益の捉え方から、「国民に対して義務を課したとき、それは通常公益目的のために認められているにすぎない」との前提が間違っていると指摘ができる。