学説判例研究~憲法~司法権

学説判例研究~憲法~司法権

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司法権(裁判所)

明治憲法下の司法概念

明治憲法は「司法権ハ天皇ノ名ニ於テ裁判所之ヲ行フ」と定めていた。これは、立法権・行政権と同様に、司法権もまた天皇に属し、裁判所は天皇に代わって、または天皇の委任を受けて、司法権をおこなうものであるとされ、裁判の正しさや権威の根拠を「天皇」に求めたものである。

他方、司法権の範囲について、明治憲法は行政事件を別に定める行政裁判所の管轄とするとして、ヨーロッパの大陸法的な制度をとっていた。すなわち、明治憲法下の司法権とは民事・刑事の裁判のみを意味する。このほか、軍人・軍属などの刑事事件を裁判する軍法会議や、皇族の民事事件を裁判する皇室裁判所などの特別裁判所も設置された。

行政裁判所に出訴することのできる事項は法律によって制限されていたため、この分野における国民の権利の救済の途は不充分であった。

一般の国民の参加の制度としては、大正12年に陪審法が制定され、一定の刑事事件の裁判について陪臣の制度が設けられていたが、その実効は挙がらず戦時中に停止された。

また、裁判官の任免は、天皇の任官大権に基づいて、司法行政権としてもっぱら政府が行い、国民の参加は認められていなかった。

事件性の要件とは何か ~日本国憲法の司法概念において事件性の要件は不可欠か~

日本国憲法は、司法とは何かについて定義規定を置いていないので解釈が必要となる。そこで、「司法とは具体的な争訟について、法を適用し、宣言することによって、これを裁定する国家の作用」だと解す考えがある(通説)。この定義にある「具体的な争訟」という部分には、具体的な争訟でない紛争は裁判所では取り扱わないという意味が込められている。このことについて「事件性の要件」と呼ばれている。そして、事件性の要件は、裁判所法3条の「法律上の争訟」と重なり、「当事者間の権利・義務ないし法律関係に係わる紛争」で、「法の適用によって終局的に解決できる紛争」であることが求められることになる。
この考えは、アメリカ合衆国憲法(3条2節1項)が裁判所で扱うケースを明文で規定している事項に依拠するものである。そこで、アメリカ合衆国憲法のように司法の定義規定を持たない日本国憲法下で、「事件性の要件」を求めることの妥当性が問題となる

近時、司法権が三権のなかで期待される役割を十分に果たされていないとの批判と相まって、「事件性の要件」の不要を説く考えがある(高橋和之)。この考えによると、司法とは「適法な提訴を待って、法律の解釈・適用に関する争いを適切な手続きの下に、終局的に裁定する作用」であると説明される。この定義によって、司法権の範囲は大幅に拡張される。行政事件訴訟法上の客観訴訟(民衆訴訟・機関訴訟)も司法権の範囲に入ることになる。さらには、抽象的違憲審査権も司法権の範囲に含まれると解することも可能になる。

客観訴訟と憲法訴訟との関係

客観訴訟とは、客観的な法秩序の維持の為に、原告の個人的な権利利益とは無関係に、行政作用の適法性を担保することを目的とするものである。裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」に当たらず、後段の「その他法律において特に定める権限」に含まれる。憲法上要請される裁判所の権限ではないので、具体的にどのような訴訟類型を置くかは立法政策の問題となる(サクハシ行政法268頁)。

客観訴訟は法律で認められているものの、「当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争」とはいえないため、憲法上の司法権の範囲外にあるものと解されている(訴訟要件として事件性を必要だとする説による)。つまり、本来、司法権に属さないものだが、特別に、「その他法律において特に定める権限」として、訴訟提起を認めている。

統治行為論

統治行為論とは、国家統治の基本に関する行為あるいは高度に政治的な国家行為は一般の行政行為や立法行為と区別される「統治行為」であるとして、解釈による法的判断が可能であっても裁判所はあえて司法審査を行わない、あるいは、してはならないという考えである。
この考えの根拠としては、権力分立原理、民主主義的責任原理、あるいは裁判所による自己抑制などが挙げられる。
しかし、国家統治の基本や高度の政治性といった概念は司法権の限界を画する基準としてはあまりにも曖昧である。そもそも憲法が規律の対象としている事項はすべて統治の基本に関することであり、高度の政治性を有するともいえる。憲法81条は、裁判所が法的であると同時に政治的な問題を扱うことを当然の前提としていると考えられるから、統治行為であることを理由に裁判所は司法を拒否することは立憲主義に反するだろう。

苫米地事件最判(1960(S35).6.8)

<衆議院の解散により衆議院議員の職を失った原告・苫米地義三(とまべちぎぞう)が、任期満了までの職の確認と歳費の支給を訴えて争った事件>

「わが憲法の三権分立の制度の下においても、司法権の行使についておのずからある限度の制約は免れないのであつて、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるものと即断すべきでない。直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきものである。」

砂川事件最判(1959(S34).12.16)

<米軍飛行場の拡張計画への反対運動の際、一部の人間が境界柵を破壊して飛行場内へ入った行為が、刑事特別法2条違反(正当な理由なく米軍施設に立ち入る罪)に問われた事件>

「(条約の)内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、したがって、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。」

「砂川事件の論理は『一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外』というものであり、伝統的な統治行為論からは、一種の修正付きの統治行為論と受け止められている」(リークエp.276)
⇒ 条件付きの統治行為論といえる。
つまり、「一見極めて明白に違憲とは言えない」ことを条件とした統治行為論。

芦部の考え

統治行為論を認めることは、徹底した法治主義を原則とする憲法の下では許されないという考え方も有力である。たしかに、自律権に属する行為、自由裁量に委ねられた行為を除くと、そのほかに統治行為と考えられるものは極めて限定されてしまうであろう。しかし、日本では多数の学説がなお、統治行為の存在そのものは是認している。問題は、それを認める論拠とその範囲である(p.334)。

立法裁量・行政裁量 (自由裁量行為)

立法裁量とは、立法に関して立法府の自由な判断に委ねることである。憲法が立法機関を一義的に拘束していない場合には、立法機関に自由裁量が認められるが、裁量の範囲の逸脱ないし濫用の有無については、司法審査が及ぶ。精神的自由が問題となる領域では立法裁量が認められる範囲は狭いが、経済政策立法や社会権の実現、あるいは選挙に関する事項の決定については、立法権を尊重して立法裁量を広く認める傾向にある。現実には堀木訴訟などで憲法解釈権の放棄と見られるような判断をしていて批判がある。

法治主義の下では、行政権は法律の定めに従って行使されなければならない。しかし、行政作用の中には、法律が詳細・厳密に行政機関を拘束することが困難又は不適当な行為がある。そこで行政法規が行政機関を一義的に拘束していない場合、一定の範囲で、行政機関に自由裁量が認められ、裁判所の審査が及ばない。これは、行政庁の第一次的判断権を尊重するものである。たとえば、内閣総理大臣による国務大臣の任免(68条)や国務大臣の訴追に対する同意(75条)など、憲法上政治部門の自律や裁量に委ねられている事項についてである。ただし、自由裁量行為であっても、裁量の範囲を逸脱し、又は裁量権の濫用があった場合には、違法となり、司法権の審査対象となる。

このように、立法・行政の自由裁量に委ねられていると解される行為は、当・不当が問題となるだけで、裁量権を著しく逸脱するか、著しく濫用した場合でないと、裁判所の統制は及ばない。しかし、裁量行為が広く認められると司法消極主義へと結びつく。司法救済が行われず、人権保障に相反し、法治主義の徹底に障害となるおそれがある。従って、裁量の広狭は個々の権利の性質により具体的に考える必要がある。

部分社会論と事件性の要件はどのような関係にあるか

部分社会論とは、公私を問わず地方議会、大学、政党、労働組合、宗教団体などの内部問題は、団体の自治・自立権を尊重して司法審査を控えるべきだという考えである。
確かに、憲法は団体の自治や団体の権利を条文で認めている場合があり(23条、28条、92条等)、当然これは尊重しなければならない。しかし、近代国家は中世の多元的社会の克服の上に作られた。構成員の権利が侵害されていれば、団体と構成員との間で調整を図るべきである。

宗教団体内部の紛争

宗教団体内部の紛争については、部分社会論に基づいて司法審査を回避することも可能であるし、宗教上の教義に関わることを理由に司法審査を行わないことも可能である。後者の場合は、そもそも具体的争訟ではなかったということになるから、理論上は第一関門ではねられたということを意味する。

行政裁判所や労働裁判所を設置すれば76条2項に違反するか

日本国憲法は76条2項で、「特別裁判所」を禁止しているが、特別の種類だけを扱う専門裁判所であってもそれが通常の裁判所の系列に組み込まれており、最高裁判所への上訴の道が開かれているならば、それは憲法の禁止する「特別裁判所」ではない。同様に、専門裁判所としての行政裁判所や労働裁判所の設置も認められる。
これに対して戦前の行政裁判所は一審制で、司法裁判所である大審院への上訴は認められていなかったから、現憲法にいう「特別裁判所」である。

裁判員制度の合憲性

裁判員制度は,国民から無作為に選ばれた裁判員が,殺人,傷害致死などの重大事件の刑事裁判で裁判官と一緒に裁判をするという制度である。裁判員制度の導入により,国民の感覚が裁判の内容に反映されることになり,国民の司法への参加が大きく進むことが期待される。しかし、憲法の観点から見ると、裁判員制度はいくつかの重要な問題を提起している。すなわち、これまで裁判官の手に留保されてきた評議・判決に一般市民たる裁判員が参加する点については、司法権の独立・裁判官の職権の独立との定職が問題となる。また、刑事被告人の側から見れば、憲法32条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と定め、裁判を受ける権利を保障していることに関連して、公正な刑事裁判を受ける権利が侵害されているかどうかが問題となりうる。

この点、裁判員制度を違憲とする立場からは、その理由として、①裁判官についてその独立(76条3項)、身分の保障(78条)、任命等(79条、80条)の厳格な規定を置いているのであり、国民の中からくじで選んだ者に裁判官と同等の権限を与えて裁判に参加させることなど、憲法の予想しないところというべきであること、②裁判に、憲法に規定もないのにこのような素人を参加させ、しかも裁判官と同等の権限を持たせることは、憲法が被告人に保障している適性手続(31条)や「公平な裁判所」の要請(37条1項)に違反すること、③裁判員候補者に対して質問手続期目に出頭する義務を課し、さらに裁判員に選ばれた者は、公判期日に出頭し、宣誓をし、審理に立ち会い、評議において意見を述べる等の義務を課すことは憲法第13条に違反するものであることなどが挙げられる。

これに対し合憲論からは、①憲法32条は「裁判所」の裁判を受ける権利を保障しており、明治憲法とは異なり「裁判所ノ裁判」(旧24条)を保障するとは規定しているのではないのであり、そうだとすれば、参審を構成要素とする裁判所を「法律の定めるところにより設置する下級裁判所」(76条1項)ととらえることができること、②79条1項は最高裁判所は法律で定める員数の裁判官で構成するとしているにもかかわらず、下級裁判所についてはこのような規定を設けていないこと、③80条1項2項には「下級裁判所の裁判官」とあるのみだから憲法所定の裁判官以外の者をその構成員とすることを禁ずる趣旨とは考えられないこと等の理由が挙げられる。

大津事件

来日中のロシア皇太子ニコライ2世が滋賀県大津を巡行中に、警備の一巡査津田三蔵に切り付けられ軽傷を負った事件である。大国ロシアに配慮した当時の松方内閣は、刑法73条の皇室罪を適用して巡査を極刑にすべしと大審院に迫った。しかし、刑法73条は日本の皇室に対して適応されるものであって、外国の皇族に対しては法律上は一般人と全く同じ扱いになり、怪我をさせただけで死刑を宣告するのには無理があった。

大審院院長に就任した児島惟謙は、法治国家として法は遵守されなければならないとする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力を何とかはね返し、一般人に対する謀殺未遂罪を適用して無期徒刑の判決が下された。このように司法権の独立を守った児島惟謙は、後年、“護法”の神と称えられた。反面、児島惟謙自身が大審院長として、担当判事に強力な働きかけを行い裁判の方向を決定付けるような干渉を加えた事実がある。
児島惟謙の行動は、「司法権の独立」の原則に含まれるもののうち、司法府の独立を守るものであったものの、裁判官の職権の独立を害するものであった点で、司法権の独立の原則に反するものであった。