レジュメ~法学~法の発展

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法学レジュメ

法の発展

1.法の発展と社会の発展

・法規範の相対性・・・法は社会の変化に対応して変化する

・社会と法…中世社会(西洋では)自己の権利が侵害された場合、実力で回復
近代社会では、紛争は原則として裁判所で平和的に解決されるべきものとなった。
近代においては、全ての権力を一手に収めた国家が、社会秩序維持の任務をもっぱら担当している。法の発展の基盤は社会の発展にある。

2.自然法と歴史主義

・2つの立場

自然法論・・・相対的な実定法秩序の上に、理性から導き出された法 = 自然法を置き、この自然法を基準として実定法秩序を批判する。
自然法に違反する実定法は無効とする。
歴史主義は、実定法秩序を批判する絶対的基準は存在しない。

・認識と実践

あるべき法は、誰によって定められるか。その正しさを保障するものは何か。

3.近代法の成立

・近代法とは何か・・・近代市民社会 - 資本主義社会の法である

自律的な(私的所有・契約・法的主体性を3つの基本要素とする)商品交換の法・・・私法を市民法と呼ぶ。自律とは私的自治の原則のことである。また民主主義のもとで、政治権力による私法秩序の保障に奉仕するものとして、公法がある。

・中世から近世へ

西洋中世社会(封建制社会)の法と権利は、無数の独立諸権力の実力により、直接保障されていた。大陸諸国では、職業的官僚制から、イギリスでは土着のコモン・ローが近代法の原型となった。

・大陸法

フランスの絶対王制(ブルボン王朝)の支配も、伝統的な身分制秩序の自律性を完全に否定できた訳ではない。このような王権と身分制社会との「綱引き」は、王制を廃止すると共に、身分制社会の諸特権を否認するフランス大革命(1789)によって終止符を打たれた。フランス民法典(1804)は、領主に対する一切の負担の消滅を要求する農民と、諸特権の廃棄を要求する市民の勝利の記念碑である。

1830年代に産業革命が開始されるまでのフランス社会がなお農村的であったり、父権と夫権が強力だったとしても、「個人の自由・平等」「所有権の絶対」「契約の自由」を中核とするフランス民法典は、資本主義の発達を可能にする経済生活の枠と認められる限りにおいて、市民法典と呼ばれるに値した。しかし、フランスに民主主義が定着するのは、第3共和政(1870~1940)の時代である。さらに遅れて第2次大戦後、女性の参政権が承認され、家族法上の男女同権が確立された。

ドイツでは、帝国身分制議会を構成する帝国貴族が、それぞれ自己の領邦(ラント)に対する支配権を強化し、統一国家へと発展させた。最も有力なラントの一つプロイセンは、常備軍を維持するために官僚制の整備を進め、18世紀後半には一般ラント法を作った。

19世紀初頭ナポレオンに敗れたドイツは、資本主義の発達による近代化の道を歩み始める。

ドイツ統一(1871ドイツ帝国)後に編さんされ、1900年に施行されたドイツ民法典は、市民法の基本原理を明確に体系化している。しかし、その後の社会の進展により、「自由主義の時期遅れの子」と言われている。民主主義が真に定着するのは、ナチスの独裁(1933~1945)という試練を経て、第2次大戦後のドイツ連邦共和国においてである。

・英米法

イギリスでは、王権と身分制議会の対抗関係は、ピューリタン革命とそれに続く反革命の激動を経た後に、1688年の名誉革命によって一元的な議会王政に転化し、議会制民主主義の形成を見るに至る。
アメリカの近代法も、非体系性を特徴とし、判例主義を基本とするなど、イギリスに近い。

4.近代法の発展

・現代資本主義と法

市民社会の発展は、労働者に富の分配の要求を生み、連帯して政治的自由を獲得するための闘争を行うようになる。法的には、社会法による市民法の修正 - 市民法の基本原理(特に所有権の絶対と契約の自由)の制限と労働者や生産者をも含めた国民の政治的権利が承認(民主主義の確立)される。

フランスでは、1875年の第3共和政憲法、ドイツでは1919年のワイマール憲法
イギリスでは、1884年~1928年までの選挙法改正等の諸改革

西洋の近代化過程においては、市民法の成立が民主主義の確立に先行した。

西欧でもアメリカでも、私有財産制と市場経済の原則は、基本的に維持されている。
特に1980年代末の社会主義体制の崩壊とともに、市場経済への回帰の動きが強まった。しかし、社会的弱者に対する配慮の必要は、無視出来ないものになっている。
福祉国家の発展と限界という問題と、諸国法の共通化の問題がある。
製造物責任法、会社法、労働法、知的財産権法等である。

・社会主義国家の法

マルクス主義の立場からは、国家独占資本主義の現れに他ならぬ福祉国家のもとでは、人間の究極的な自由(解放)の実現は不可能であって、この目標に到達するには、社会主義革命を経なければならないとされた。すなわち、福祉国家において、市民法の修正が見られると言っても、それは結局、支配階級たるブルジョワジー = 資本家の利益に奉仕するという限界を持つものであり、真に自由な人間の社会を実現するには、まず労働者と農民が協同しつつ権力を独占して、従来の支配階級を無力化する必要があると説かれた。民主主義という「神話」によるブルジョワジーの利益擁護を意味するとされた。

社会主義法においては、プロレタリアートの独裁 = 人民主権が確立され、人民主権のもとで、人間による人間の搾取を可能にしていた生産手段の私的所有に変えて、社会主義的所有(国家的所有及び協同組合的所有)が基礎づけられると説かれた。社会主義国家における計画経済は、生産手段の私的所有の否定を原則とする故に、福祉国家における国家の経済生活への介入との表面的類似にも関わらず、これと本質的に異なるとされた。1917年ロシア革命

しかし、1980年代以降、ソ連型中央管理経済は西側世界における技術革新の進展に追い着けず、社会主義体制は機能麻痺に陥って、ついに市場経済への転換が図られることになった。

5.日本の近代法

・日本の固有法

日本における統一国家の形成は、諸領主が中央の身分制議会へと結集し、幕府がこの身分制議会と対抗しつつ、独自の官僚的支配を確立して行くという形をとらず、幕府が諸領主をそのまま官僚に任命し、これに委託するという形で行われたのである。(近世の幕藩体制社会)
鎖国で常備軍が不要で、広大な市場の不存在のため、資本主義が発達しなかったため、法の統一が進行しなかった。このような状態で明治維新。

・近代法の継受と発展

法の改革は、西洋市民法の継受という形を取らざるを得なかった。市民法の形成は、フランス及びドイツの法典を下敷きにした法典編さんによって行われることになった。その成果が明治31年施行の民法典と翌年の商法典。又、地租改正(税制改革)により、明治国家の財政的基礎を確立した。

大日本帝国憲法・・・明治23年(1890)「家」のイデオロギーによって強化された天皇制イデオロギーが強力な統制原理となった。

第2次大戦の敗戦は、天皇制と「家」のイデオロギーを一挙に弱体化させ、日本社会は不安定になった。しかし、占領軍の圧力と新憲法に謳われた民主主義によって、政治的安定は回復され、日本の資本主義は福祉国家の道を進むことになる。それに伴い、日本の近代法が新たな発展を遂げることになった。

6.世界法の展望

・分野ごとのグローバル・ネットワーク

世界市場や人権保障や環境保護といった世界社会の様々の分野が、国家的制度からある程度切り離されたところで形成される。それぞれ独自のグローバルな法秩序が接点を持ち、ネットワークとなってくる。

・合法性のユニバーサル・コード