学説判例研究~憲法~「二重の基準論」の妥当性

学説判例研究~憲法~「二重の基準論」の妥当性

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憲法レジュメ

「二重の基準論」の妥当性

1、基本的人権の限界について

(芦部『憲法 第五版』、98‐105頁参照)

「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」(11条)だが、個人は社会との関係を無視して生存することはできないので、人権もとくに他人の人権との関係で制約されることがある。
日本国憲法は、12条・13条で総論的に、22条・29条で個別的に、「公共の福祉」による制約がある旨規定している。

(1)「公共の福祉」の法的意味

一元的外在制約説

基本的人権はすべて「公共の福祉」によって制約される。「公共の福祉」を、人権の外にあって人権を制約することのできる一般的な原理だと捉える。

批判:明治憲法下の「法律の留保」と同じように人権を制限する恐れがある。

内在・外在二元的制約説

外在的制約として「公共の福祉」による制約を受けるものは、個別に規定のある22条・29条と、社会権に限られる。これ以外の自由権は、権利が社会的なものであることに内在する制約に服する。
12条と13条は、訓示的ないし倫理的な規定でしかない。

批判:自由権と社会権は相対化しつつあって、区別が困難である。13条を倫理的な規定とするなら、「新しい人権」を基礎づける包括的な人権条項と解釈できない。

一元的内在制約説

「公共の福祉」をすべての人権に内在する人権相互の衝突・矛盾の調整を図るための調整原理として捉える。
自由権を各人に公平に保障するための制約を根拠づける場合には、必要最小限度の規制のみを認め(自由国家的公共の福祉)、社会権を実質的に保障するために自由権の規制を根拠づける場合には、必要な限度の規制を認めるもの(社会国家的公共の福祉)としてはたらく。

批判:人権の具体的限界についての判断基準として、「必要最小限度」ないし「必要な限度」という抽象的な原則しか示されておらず、どのように判定するか明らかでない。

(2)比較衡量論

比較衡量という違憲審査の基準は、すべての人権について「それを制限することによってもたらされる利益とそれを制限しない場合に維持される利益とを比較して、前者の価値が高いと判断される場合には、それによって人権を制限することができる」というものである。

公共の福祉という抽象的な原理によって制限の合憲性を判定する考えとは異なり、具体的状況を踏まえて対立する利益を衡量しながら妥当な結論を導こうと考える(芦部『憲法 第五版』、101頁)。

批判:比較の基準が必ずしも明確でなく、国家権力の利益と個人との利益の衡量が行われると、国家権力の利益が優先される可能性が高い。

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(3)二重の基準論

二重の基準論とは「精神的自由は立憲民主政の政治過程にとって不可欠の権利であるから、それは経済的自由に比べて優越的地位を占めるとし、したがって、人権を規制する法律の違憲審査にあたって、経済的自由の規制立法に関して適用される「合理性」の基準は、精神的自由の規制立法については妥当せず、より厳格な基準によって審査されなければならないとする理論である」(芦部『憲法 第5版』、101頁)。

二重の基準論の意義

(芦部『憲法学Ⅱ』213-218頁参照)

「二重の基準」という理論は、1938年アメリカ合衆国最高裁のカロリーヌ事件判決でストーン判事の法廷意見によって打ち出されたものである。

カロリーヌ判決の三つの趣旨(同書215頁)

①  国家機関による制限が憲法上明確に禁止されている人権を脅かすような立法には合憲性は推定されない。

②  不当な立法の改廃を行うことを通常期待できる政治過程を制約する立法は、経済過程に影響を与える立法の場合よりも、より厳格な司法審査に服する。

③  特定の宗教的、国民的もしくは人種的少数者、すなわち社会的に分離し孤立した少数者に対する偏見が、通常は確実に少数者を保護してくれる政治過程の働きを著しく弱めるようになる特別の場合には、より厳格な司法審査を要求することができる。

理論の論拠

(芦部『憲法学Ⅱ』218-227頁参照)

① 民主的政治過程論

経済的自由を規制する立法は、民主政の過程が正常に機能している限り、それによって不当な規制を除去ないし是正することが可能。

精神的自由の制限は、政治的に支配的な多数者による少数者の権利の無視もしくは侵害をもたらす立法の場合は、それによって民主政の過程そのものが傷つけられているため、政治過程による適切な改廃を期待することは不可能ないし著しく困難。

したがって、精神的自由を規制する立法が問題となるときは、裁判所が積極的に介入して民主政の過程の正常な運営の回復をはからなければ人権の保障を実現できない。

② 政策問題と司法の能力

経済的自由の規制は社会・経済政策の問題と関係することが多く、その合憲性を判定するには複雑な利益の調整と政策的な判断を必要とするが、裁判所はそのような能力に乏しく、それを行う適切な機関ではない。

したがって、明白に違憲と認められないかぎり立法府の判断を尊重する態度が望まれる。

2、判例

●経済的自由について

最大判S47.11.22 小売市場事件

「憲法は、国の責務として積極的な社会経済政策の実施を予定しているものということができ、個人の経済活動の自由に関する限り、個人の精神的自由等に関する場合と異なって、右社会経済政策の実施の一手段として、これに一定の合理的規制措置を講ずることは、もともと、憲法が予定し、かつ、許容するところと解するのが相当」

「法的規制措置の必要の有無や法的規制措置の対象・手段・態様などを判断するにあたっては、その対象となる社会経済の実態についての正確な基礎資料が必要であり、具体的な法的規制措置が現実の社会経済にどのような影響を及ぼすか、その利害得失を洞察するとともに、広く社会経済政策全体との調和を考慮する等、相互に関連する諸条件についての適正な評価と判断が必要であって、このような評価と判断の機能は、まさに立法府の使命とするところ」

最大判S50.4.30 薬事法事件

「職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊にいわゆる精神的自由に比較して、公権力による規制の要請がつよく、憲法22条1項が『公共の福祉に反しない限り』という留保のもとに職業選択の自由を認めたのも、特にこの点を強調する趣旨に出たものと考えられる。」

「規制措置が憲法22条1項にいう公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは、……具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによって制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量したうえで慎重に決定されなければならない。この場合、右のような検討と考量をするのは、第一次的には立法府の権限と責務であ」る。

●精神的自由について

最大判S49.11.6 猿払事件

「憲法21条の保障する表現の自由は、民主主義国家の政治的基盤をなし、国民の基本的人権のうちでもとりわけ重要なものであり、法律によってもみだりに制限することができないものである」

最判H7.3.7 泉佐野市民会館事件

「集会の自由の制約は、基本的人権のうち精神的自由を制約するものであるから、経済的自由の制約以上に厳格な基準の下にされなければならない」

このように、最高裁も一般論として表現の自由の重要性は認めている。
しかし、表現の自由を規制する法律を厳しい審査基準で違憲とした最高裁判決は出てきていない。

3、井上達夫=長谷部恭男論争

井上は二重の基準論を批判する立場。長谷部は二重の基準論を支持する立場。

井上による批判

①  精神的自由は、政治に直接関係しない言論や私事に関する自己決定も含んでいるから、民主政治のプロセスの保障手段だからという道具主義的な理由づけだけでは、経済的自由に対する優位を一般的に正当化できない

②  精神的自由と経済的自由とには、経済的自由なくして精神的自由なし」といえるほどの緊密な依存関係がある。

長谷部の反論

① 経済的自由は経済法制に依存するのに対し、表現の自由は出版法等に依存しない

② 政府の活動の恣意性・危険性に関する判断は、確かに偶然的・経験的な判断であるが、このような考慮を排除することは不適切である。商品広告の規制と宗教・政治活動の規制とでは政府の行動が恣意的に行われる危険性は明らかに異なる

個人の自律性を保障するうえで重要なことは、多様な選択肢が開かれていることであり、特定の選択肢を保障することではない。……特定の職業経営が制約されたとしても、それがあらゆる人に等しくあてはまる根拠と基準によって制約されているのであれば、直ちに、個人の自律性が侵害されているとはいえない。

井上の再批判

① 経済的自由は経済法制に依存するのに対し、表現の自由は出版法等に依存しないとして、私の議論を批判するが、私のポイントは表現行為は経済行為として営まれるのが通常であり、経済的自由を構成する法制に依存すると同時にそれを制約する規制によって制約されるということである。

② 政府規制が恣意化する危険性が表現の自由の場合の方が経済的自由よりも高いという主張は、経験的事実に反する

③ 特定職業規制は万人に運用可能なら個人の自律を侵害しないという議論は、特定宗教の規制も万人に適用可能なら個人の自律を侵害しないという不合理な帰結を含意してしまう。

参考引用文献

芦部信喜『憲法<第五版>』岩波書店2011、98-105頁
芦部信喜『憲法学Ⅱ』有斐閣 1994、213-227頁
長谷部恭男『比較不能な価値の迷路』東京大学出版 2000、99‐112頁
長谷部恭男『interactive憲法』有斐閣 2006、19-30頁
井上達夫『法という企て』東京大学出版 2003、182‐187頁