政治学レジュメ~パトリオティズム(愛国心)

政治学レジュメ~パトリオティズム(愛国心)

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政治哲学レジュメ

岡本仁宏「パトリオティズム(愛国心)」

~古賀敬太編『政治概念の歴史的展開』第3巻、晃洋書房、2009年~

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1、古代

(1)ヘレン(Hellene)の伝統

古代ギリシア

ソクラテスの発言から捉えることのできる愛国心の対象は、第一に、父祖伝来の(血縁的)政治共同体であり、第二に、市民の「説得」と「同意」によって形成される法を共有する政治団体であった。

そして、国法および国への忠誠根拠の二元性は、ソクラテスの死(前399年)を挟んでなされた2つの著名な葬送演説によって確認できる。① ペリクレスの演説(前431年)と、② ソクラテスが主人公として登場するプラトンの『メネクセノス』(前386年以降)である。

ペリクレスは一層成員の平等性に基づいた討議や公開性を持つ政治体制上の優越性を強調したのに対して、プラトンのテキストでも両方が語られているとはいえ、原文では神話的正当性と成員の血統的同質性に基づく一体性がより強調されている。

※プラトンの描くソクラテスは、自らがこれから行おうとする葬送演説を始める前に、そのような演説を批判している。プラトンのこの描写は、愛国心の鼓吹の言葉がもつイデオロギー的な魔力を象徴的かつ適格に描いている。プラトンは、「陶酔」や操作という愛国心のイデオロギー的側面に鋭い感覚を持っていたといえる。

古代ローマ

キケロは、古代ギリシアの伝統を受け継ぎつつも中世以後に絶大な影響を与える愛国心の表現者であった。キケロは、『義務論』の中で、「あらゆる社会的連帯の中で最も重要で、最も大切なのは、国家re publicaと我々一人一人とのあいだの関係である。」「あらゆる人々が大切に思うそのすべての関係を祖国patriaはただ1つで包括している。祖国のためならば、良識ある人物の誰が死地に赴くのを躊躇するのだろうか。」という。

そして、愛国心の対象であるpatriaは、①自然による祖国、②市民権による祖国の2つがあることを示していて、patria概念の二重性が語られる。キケロは、この両方を否定せず、その上で郷土愛の対象となる祖国に対して、共和国市民としての忠誠対象である祖国の優位性を主張する。

(2)ヘブライ(Hebrew)の伝統

聖書によって愛国心を正当化する必要から、聖書における、イスラエルという民族、あるいはエルサレムという都市への忠誠や愛情と考えられる表現は、愛国心の表現として解釈されてきた。

旧約では、「選民」思想として、民族への忠誠や愛が語られた。

新約では、福音書においてイエスがエルサレムやイスラエルに対する愛を語る部分が国への愛を語る言葉として引用されてきた。

イエスの愛国心の表現としては、よきサマリア人の例えのように、民族主義的な閉鎖性の否定や山上の垂訓にあるような価値的メッセージを信仰として受け入れた者のみが、神の国に入れるとする主張が基本である。

このメッセージは、アウグスティヌスのテキストにおいて、地の国と神の国、という2つの国の対比という論理的表現を得る。真の祖国(パトリア)が天の国=神の国にあるキリスト者は、現世という地上の国の異邦人、寄留者としてさまよう。

しかし、キリスト教による現世と来世との間の、あるいは地の国と神の国との関係についての教説は、その後の中世前半期において愛国心に対する相対的に低い評価をもたらすこととなる。

2、中世

ポリスやローマ共和国の精神的権威は、古代末期の動乱の中で明らかに低下していった。「祖国(patria)はほとんど忘れ去れた政治的存在となってしまった」。

キリスト教のもつ現世離脱的傾向は、新しい中世世界の形成過程において、国家(civitus)から公共性と精神的価値を剥奪し、封建的な私的な忠誠関係の信義を重んじるように展開していく。世俗の公共的な国家のイメージは衰退し、patriaは、一方では天の祖国に、他方では生まれた故郷となる小さな地域に引き付けられて解釈される。

ただし、patriaは、ローマ法を引き継ぐ法学的世界、及びイタリアの都市国家郡、あるいは一部の古典古代の文献を引き継いだ詩人や知識人のサークルなどで、この言葉の古典的意味を継承した。現世の王国に対する忠誠は、愛国心(amore patriae)として語られ、聖化がなされた。これは、近世に至って王国が領域国家の形態を確立し絶対王政を形成するようになれば、君主に体現された神秘体としての王国への忠誠に変容していく。

3、近世

ルネサンスと宗教改革

ルネサンス期に、古典的共和主義のレトリックが再興された。この試みは、一方で、先の近世絶対王政への忠誠の言説と異なりながらも、他方では、古典古代にあった自由な祖国への忠誠という意味で、専制への抵抗につながる言語的伝統を次の時代に継承した。

マキャヴェリも祖国に対する愛を持っていて、これはペリクレスの葬送演説に述べられた民主政体への忠誠の伝統を継承するものであった。

(1)パトリオティズム

「パトリオティズム」の誕生

古典古代から継承した祖国愛と自由との強い結びつきを、宗教改革の動乱の中で政治的に表現する言葉としてpatriotが使用された。16世紀末から17世紀にかけてpatriotの英語での使用が始まる。18世紀になると、イギリスでも同国人・同郷人的な意味から離れ愛国者としての意味が中心となる。

patriaの2つの意味の継続

17世紀イングランドのシャフツベリーは、「自由と独立」を人民に保障するような政治体への忠誠として、愛国心を語る。これは、古典古代から、さらにマキャヴェリからの伝統が明確に表現されている。

そして、シャフツベリーは、自由と独立への愛国心と並行して、生まれた場所や気候などへの愛を混同する傾向があることを批判的に指摘している。

(2)革命の時代とナショナリズムへの道

近代市民革命は、愛国心なくては実現しなかった。古代以来の歴史において、政治的能動性を期待されなかった広範囲な民衆の心にまで愛国心が入り込み、強大なエネルギーを解放した。

この解放のカギとなるのは、①地上における至高の権力としての主権国家の成立であり、②革命に劇的に表現された民主主義的正当性の樹立であり、③「国民」動員イデオロギーとしてのナショナリズムの成立である。つまり、愛国心の対象は近代国家となり、その巨大な権力と動員メカニズムと結びつく。

ルソーのプロジェクト

ルソーは、シャフツベリーが違和感を持ち苦心して切り分けようとした2つの意味を、あえて重ねることを試みた。ルソーは、徹底的に同質的な国民を形成し、祖国に強い同一化感情をもつ市民=国民を形成しようとしていた。「彼らの魂に国民的な形相」を与えるのである。

さらに、人々の心を動かし彼らに祖国とその法とを愛するようにするには、捨て難い慣習と打ち勝ち難い愛着とを形成する諸制度によって、心の底から「祖国あるところ、幸福あり」と言わせなければならないとする。

このように展開すると、人々は国家により作られ、「国民」として制度化されていくことになる。

自由と愛国心

オランダ独立戦争やイギリスの革命、アメリカの独立革命などの歴史過程やそれらの伝統を継承した政治運動においては、自由と強い結びつきをもった愛国心の伝統が継承された。

イギリス革命期の自由と結びついた愛国心の称揚は、非国教会派プロテスタントの牧師リチャード・プライスの講演によく表現されている。彼は、愛国心を是正、純化し、正しく合理的な行動原理とするためには、3つの要件があるという。

①愛の対象である国とは、我々がその成員であるコミュニテイであること、②国が他の諸国より優れた価値を持っているという確信、あるいは祖国の法や統治機構の特別の愛好心を決して意味しないこと、③愛国心と、諸国民のあいだに一般にある競争心および野心とを区別すること、である。

この洗練化の試みは、シャフツベリーによる区別を明確にして、さらに一歩進んで自国の法や統治機構に対する特別の愛好心を否定することで、より相対主義的な愛国心の正当化を行っている。

ナショナリズムと愛国心の融合

愛国心の対象が「民族」と重なるべきとされる「国民」(nation)の政治共同体に置かれるとき、ナショナリズムと愛国心・愛国主義は重なる。エスニシティ自体は人類の歴史とともに古いとしても、①民族的文化性のまとまりが政治的単位と重なるべきであるとされ、②広範囲な民衆を動員する政治イデオロギーとして表現されてくるのは、すぐれて近代的事象であった。

近代ナショナリズムは、愛国心の伝統をそっくり吸収し、一方で父祖からの伝統を継承する超歴史的な歴史をもつ永遠の祖国という観念を造形し、かつ他方で大衆を幅広く動員する愛国主義として、強力な力を持つことになった。エスニシティと愛国心という2つの伝統的文化的要素が、近代国家のナショナリズムとして統合された。

4、現代の論争

どの国でも、愛国心は絶対的な善とされて称揚された。「正義の戦争」のために人々を動員するイデオロギーとして愛国心が用いられた。

近代国家は、愛国心の名のもとに大量に人々を動員し、大量に人々を戦わせ、大量に人々を殺す。つまり、この美しくも恐ろしい愛国心という言葉の力が、近代においてナショナリズムと重なり羽化を遂げ、その潜在力の全容を現したのは、巨大な生産力が解放された現代においてである。

歴史的検討から、以下のことは、愛国心という言葉を現代において議論する場合に前提とする必要がある。

① 我々はナショナリズムと愛国心とを区別する努力をすべきであろう。

② 一般的な郷土愛や文化的特殊性に対する愛着、それらを共有する人々との同志愛的感情などと、国家への忠誠とが区別される必要がある。

③ 愛国心はコスモポリタニズムによって、制約されるべきである。という言葉は、倫理的に「偏頗心」(福沢諭吉)にしかすぎない愛国心は、普遍的な人間愛によって制限されるべきだからである。

④ 自由で民主的な政治的自治共同体への愛と忠誠とは、愛国心の内容として擁護されえるが、相対化されるべきである。