学説判例研究~憲法~国民主権と国民代表

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憲法学説判例研究

国民主権と国民代表

主権とは

現在の用法

1 国民および領土を統治する国家の権力。統治権。
2 国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。国家主権。
3 国家の政治を最終的に決定する権利。

主権国家の成立~中世との対比~
中世の封建国家が没することで成立したのは、明確な国境内の領域を一個の主権者である君主(国王)が、一元的に(中央集権体制的に)支配する「主権国家」であった。
中世の封建国家では国土を統一的に支配する者はなく、教会権力や領主権力の入り混じった多元的社会構造をしていた。これに対して主権国家は、国土の上に単一の主権を持つ。国民から見れば、中世では様々な権力に服していたが、主権国家では単一の主権者による権力のみに服することになる。

中世の封建国家は、教会権力や領主権力の入り混じった多元的社会構造を有していた。

神聖ローマ帝国やイギリス王国、フランス王国がそうであったように、皇帝や国王は封建領主の一人にすぎず、国土を統一的に支配していたのではなく、また国境も明確ではなく、互いに入り組んでいた。

ボーダン『国家論』(1576年)は、多元的社会が克服され、絶対君主にすべての権力が集中される国家を理想として抱いていた。

15世紀末から16世紀中頃までのフランスと神聖ローマ帝国(スペイン・ドイツなど)との間のイタリアをめぐる戦争(イタリア戦争<終結:1559年カトー=カンブレジ条約>)で、主権と領土が明確になる。

ドイツでは、三十年戦争の終結させた、1648年のウェストファリア条約によって神聖ローマ帝国が実質的に解体され、上述した意味で、多数の「主権国家」が誕生する。一般に、ウェストファリア条約によってヨーロッパの主権国家体制は確立したと説明される。

国民国家とは

16~18世紀の主権国家は、主権を国王が持ち、国王に権力が集中する「絶対王政」という政治形態をとっていた。が、市民革命によって国民が国家権力を君主から奪い取ることにより「国民主権」が誕生し、国民主権によって成立する「国民国家(Nation State)」が誕生した。

わが国におけるネーションステート成立を、明治維新によって誕生した大日本帝国にもとめる考えがある。しかし、ネーションステートとは、「確定した領土をもち国民を主権者とする国家体制およびその概念」(清水知子、日本大百科全書)だとすると、天皇に大権を認めていた当時の体制をネーションステートと呼ぶことはできない。

大日本帝国をネーションステートだとする考えは、ネーションを「民族」と訳し、民族の統一としての国家を想定している。そこでは、「民族的アイデンティティ」を強調することで「国民」として人々がまとめられる。さらには、国旗の掲揚や敬礼、国歌斉唱、使用する文字や言葉の標準化などの統制を通じて、(民族を前提とした)「国民的アイデンティティ」の形成が図られ、国民はアイデンティティ(同一性)として国家への忠誠が求められる。この点が国民国家概念の負の側面である。

〔徴兵制について〕
自国の主権(領土)は主権者である国民自らが守らなければならないから、国民が軍務に就くことは国民として当然の義務であるとの観念が確立された。このように、市民革命の過程で、主権者たる国民が自らの権利を守るための手段として兵役は当然の義務と位置づけられたことにより、徴兵制は国民国家の誕生ととともに登場したのである。

ナシオン主権とプープル主権

革命によって君主の権力が倒され、専制政治が終わっても、古代ギリシアのように市民が直接政治に参加して物事をみんなで決めることができるとは限りらない。

そこで、自分たちの代表を決めて、実際の政治は代表者たちに任せることになるが、これをもって国民主権が確立したといえるかどうかが問題となる。

ナシオン主権の立場では、憲法で「主権は国民より発する」ということが確認されていれば、日頃、すべての国民が直接、立法や行政に参加しなくても国民主権だと考える。

他方、プープル主権論者は「代議政治は国民主権とはいえない。人民が実際に日々権力を行使しなければ意味がない」と考える。

しかし、現代の巨大国家において古代ギリシアのような直接民主制を採ることは不可能であるから、この立場からも代表を選ぶことになる。もっとも、プープル主権論は、すべての人々が選挙に参加するのでなければ選ばれた人は真の代表とはいえないということにこだわる(半代表)。

(※両者の対立点は、国民の範囲にあるのではない。実際の政治権力が誰によって行使されているか、また行使されるべきか、或は一般の人々が政治に参加する機会がどれだけ保障されているか、またされるべきかにある。)

裁判員制度は、司法を裁判官という専門家(国民の代理ないし代表)まかせにせず、人民が自ら直接その権力を行使するとものだと捉えれば、まさにプープル主権を具現したものと言える。(ナシオン主権論からは、国民の名において裁判が行われている限り国民主権は確保されていると考える。)

権力性の契機と正当性の契機

芦部は、国民主権を権力的契機及び正当性の契機で説明する。

権力性の契機:国家権力が国民によって行使されるという性質
正当性の契機:国家権力の正統性の究極の根拠が国民にあるという性質

芦部は、対立する2つの主権論を折衷し、2つの契機ないし要素として自己の国民主権論のなかに組み入れたが、どちらかといえばナシオン主権寄りの理論だといえる。というのは、生の権力(憲法制定権力)を行使する人民は革命時に憲法制定者として立ち現れたが、その後は憲法において権力は制度化され、国民が政治の表舞台に登場する場面は憲法改正において国民投票権を行使するときなどに限られていると述べ、それ以外の場において人民が物事を直接決定することに否定的な立場をとっているからである。

※権力性の契機を説明するのに、権力を行使する国民は、国民一般ではなく有権者だとすることに問題はないか。

天皇機関説

天皇機関説は、主権論としては、国家主権論を唱えた。君主でも国民でもなく、国家それ自体が主権者であるとした。この考えは、ドイツの国家法人説を下敷きにしていた。

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