政治学レジュメ~日本のナショナリズムの源流Ⅰ

政治学レジュメ~日本のナショナリズムの源流Ⅰ

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政治哲学レジュメ

日本民衆の「国民」化

橋川文三『ナショナリズム その神話と論理』

新装復刊版,紀伊国屋書店(2005年)145-172頁

国家が必要だから「国民」を創出した(145-156頁)

明治維新後の旧武士層・封建領主層

旧武士層は、政令にしたがい、従来の複雑きわまる武士団内部の階層制を廃止することになったが、それでも多年の因襲は容易に抜けなかった。しかし、彼らの君主として幾百年かをすごした封建諸侯はかえって従順に新しい統一政権の威令に従った。維新以降、少なくとも旧封建領主を指導者とする反乱が起こっていないことはその証拠である。封建領主層は、当時すでに、政府と同輩の顔色をみながらでなければ行動しえない無能者に堕していたのである。

明治維新後の一般民衆

「御一新」<御一新:明治維新の別名。主に大政奉還と廃藩置県を指して。>の変動に巻き込まれた一般民衆のアノミックな状況は、もっと広範で、また混沌としたものであった。多数の民衆にとって、新政府が何を目指し、どこへ自分たちをみちびこうとしているかは、ほとんど理解もできなかったのである。そして、当時の政府の布告の雨下と、その文章の難しさは、民衆を苦しめたが、そこから生じた混乱の多くが地方郷村の実際的な世話人である戸、区長の指導力喪失に帰せられる傾向にあった

このような状況について、福沢諭吉は、「日本にはただ政府ありて、未だ国民あらずというも可なり」(『学問のすすめ』第四篇)というように、日本が封建時代と少しもかわらぬ専制主義と、民衆の側のいぜんたる奴隷根性とによって成立っていることを痛嘆しなければならなかった。

もともと、ネーションの意思決定のための機関として国家=政府があるのが正常な姿なのに、ここでは逆に政府がその存立を専制的に立証する手段として「国民」があるという形になっている。この当時の民衆は、全体としていえば「国は政府の私有にして人民は国の食客のごとし」という福沢の語にあるように、自ら独立の国民として意識することもなく、その意識によって自ら国家を支えるという気性をも欠いていた。

近代ナショナリズムの極限的な形態は、「一般意志」に対する宗教的な信従という形をさえとるものであった。福沢が封建体制下に見た民衆は、少なくとも力に対しては屈服しても、決してその心を奪われるほどではなかったのに、明治政府の下においては、精神的にもまた奴隷化されたというのである。いいかえれば、民衆がいまだネーションとしての意識をもつ以前に、すでに宗教的な畏敬の心を持って国家と政府を見るようになったということである。

明治維新によってもたらされた事態は、国家がその必要の為にようやく国民を求めるに至ったということで、その逆ではなかった。いわば、国家がその権利の対象として国民を要求したことにほかならなかった

日本民衆の「国民」化(156-172頁)

維新政府の「大教宣布」

幕府を倒し、諸藩を解散せしめた維新の新権力者にとって、もっとも手ごわい問題は、民衆をいかにして「国民」化するかということであった。日本民衆を「国民」化する最初の着手が、宣教使による天皇親政の意味の宣伝であった

しかし、未だ皇室のことを知るのも少なかった民衆の中には、討幕勢力の担ぎ出した天皇が、本物の天皇かどうかを疑うという空気さえあった。国学者の人々の熱心と希望にもかかわらず、民衆は現実の維新政府の「大教宣布」によっても、神道国教化のための広範な民間信仰への規制によっても容易に純真な神州国民に還元されることはなかった

↓方向転換

納税者としての国民、兵役に服する国民の創出

復古主義による民衆教化政策が失敗に終わり、変って急激な文明開化が全国を風びした。維新政府の「国民」創出のための努力は、そうした神学的理念によるよりも、むしろ逆に、散文的な、もしくはあまりにも現世的な理念によって導かれたものと見るべきである。ここでいうのは、日本における「国民」が、何よりもまず納税者としての国民兵役に服する国民の創出という形をとったということである。

↓その手法として

家を介しての支配

戸籍法の制定こそ、納税と徴兵の担当者として、民衆の一人一人を国民として掌握するためにとられた最初の手続きにほかならないものであった。このことによって、国民の一人一人は統一権力の日常的な行政支配の対象として確認せられ、国家の構成分子として平準化された。はじめて国家はその機構的支配の標準を与えられたことになる。日本の戸籍編成では、その名のとおり戸(=家)を通して個々人を登録するという形態をとっている。即ち、国民概念の形成にあたって、家がその重要な媒介項となっている。言い換えれば国家がその統治作用を直接個人に及ぼすのではなく、家を介して支配を行うという形をとったのである。

この際、問題となるのは、政治権力によって統制の対象となるような「家」の実体をどのようなものとして限定するかということである。未だ混沌とした人間的状況の中に一定の国家的政治秩序を実現するためには、何よりまず国家と人間に関する基本的な座標軸が決定されなければならない。これについて、社会のタテの座標として旧社会における身分制の転換的利用であり(旧身分制の廃止と華・士族、平民制への再編成)、ヨコの座標として「家」制度の利用という方策であった。そして、このさい、国民全体に通ずる普遍的な「家」の理念は、比較的明確な社会形態として存在している武士団の家族性を原型として構成されることになった。明治以降、とくに法律的には明治31年の民法公布によって、一般民衆はそれまで知ることのなかった武家法的な家の制度に従って、その家庭を形作ることになったのである。

明治政権は、人間生活の根源的な再生産の場としての家を、戸主権・親権・夫権という法的な作用をとおして統制し、そのことによって、いわば法律的に全民衆の人間形成と行動様式のパターンを規制したわけである。

そして、こうした規制とならんで、国家による「教育」がまた同じように民衆をナショナライズするために強力な作用を発揮した事は、後の「教育勅語」に象徴されるように周知のとおりである。

国家への忠誠

こうして形成された家は、国家的支配に対する第一次的な適応に習熟する場となった。それは人間本性の自然的・有機的な感情形成の場であるとともに、国家という抽象的でインパーソナルな権力機構の作用を予め模型的に習得するための環境でもあった。そして、その際、問題となるのは、家という具体的な環境において自然に成長する有機的な生命感情と、国家への忠誠という意志的な規範感覚との間に生ずる乖離をどのようにして架橋するかという問題である。

この問題の解決は、最終的には日本国家を一大家族として擬制することによって行われたこれを可能としたのは、日本の民衆的生活伝統の中に、祖先崇拝の心情が生きていたからである。この心情は、それ自体としてはそれぞれの家もしくは同族の祖先を祭ることによって、かえって民族総体の神々に対する統一的・集中的な信仰に対しては阻害的要因となる傾向があり、それ故に、明治維新以来すべての土俗的な雑神崇拝とともに自家用の祖先礼拝様式に対する一定の規制が繰り返し行われてもいる。しかし、もしそれぞれの家の祖先が、すべて皇祖神を頂点とする皇室の髪の系統の中に位置付けられるならば、個別的な祖先崇拝と皇室=天皇崇拝との間に矛盾は生じないことになる。維新以来、各地における氏神社のランキングが定められて、その祭式・祭日をすべて伊勢神宮のそれにリンクさせる政策が採られたのもそのためであった。

以上のように、日本においては、古代的神話と近世的伝統の諸要素が、近代的国家の機能に適応しうるネーション形成の契機として利用されたわけである。

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