政治学レジュメ~日本のナショナリズムの源流Ⅱ

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 政治哲学レジュメ

民権論主張に内在される国権擁護

橋川文三『ナショナリズム その神話と論理』

新装復刊版,紀伊国屋書店(2005年)172-186頁

日本の「右翼」は、純真素朴な士族主義だった

日本のおける国民形成が、いわば「上から」の啓蒙的専制によって指導され、民衆はむしろ強制的にナショナライズされたというのは明らかな事実であった。

民衆は従来の封建的制約から解放された反面、新たに兵役や教育という予想もしなかった義務を強いられ、この負担に対して多くの暴動が引き起こされた。それはもとより民衆が政府の考えるような「ネーション」の意識を持たなかった事を意味している。そこで、ネーションの「上から」する強制力的創出に対抗して、「下から」のネーション形成の志向はなかったのか、という問題が浮かんでくる

この疑問に対する答えの一部は、すでに述べた隠岐コミューンの事例に現れている。が、ここで問題としなければならないのは、維新後7、8年のころから全国的に広がっていった反政府運動の巨大な昂揚をどう評価するかということである。

自由民権運動が明治期のみならず、日本近代史を通じてもっとも激烈、勇敢な反政府運動であり、それに類推するものとしては、凡そ半世紀後における共産主義運動しかない。この2つの運動を比べるとき気づくことは、前者における濃厚なナショナリズムの傾向であり、後者のように純粋な左翼運動と呼んでよいかどうか、かなり問題があるということである。この問題は、当時の用語でいえば、民権論を主張するこの運動が、かえって熱烈な国権の擁護者でもあったという二重性格の問題である。

これについて、上流民権の主張は、富国強兵の達成のためには民衆の独立精神が必要であり、その独立精神の培養の為には人民の権利主張の場としての国会が必要であるというものだった。が、その場合、当時の強力な有司専制に対抗してこの権利を主張しうるものは、国民中ただ旧武士階級=士族のみであるという前提がある。明治12、3年頃までの民権運働が後の「豪農民権」「農民民権」と区別されて士族民権と呼ばれるのはそのためであるが、このような士族的エトスこそ、民権運動の二重性を現出せしめた根源であった。

このとき、士族層には、中央における権力的地位が薩・長・土三藩によって独占され、閥外の多数の旧藩士たちはその地位から疎外されていたことと、東京を中心とする文明開化が地方におけるかつての善き生活伝統を抹殺しつつ、急速に進行していることへの不満があった。

このような士族層内部の鬱屈が最終的に爆発した西南戦争の余波として、自由民権運動の内部から生まれた一種の新しい行動様式として、日本の「右翼」が誕生した。玄洋社の設立が代表的である。

玄洋社が設立当時説いた理論(玄洋社社史の憲則第三条「人民の権利を固守すべし」の解釈)は、士族民権と異なるものではなかった。彼らは、どこまでも皇室の意志に従い、万民共同の政治参加を要求するためにその民権を主張したのであり、同輩の一部が有司として忠誠を独占することに反対したのである。すなわち、国民中の国民たる士族の革命の徹底を求めたのである。

以上のように、日本の「右翼」というのは、きわめて純真素朴な士族主義を象徴したものにすぎなかった

日本人は、今に至るまで、かつて真に自らの「一般意志」を見出したことはなかったといえる。なぜならば、かつて天皇制のもとでは、天皇の意志以外に「一般意志」というものは成立しないと考えられたからであり、しいて天皇制のもとで国民の一般意志を追及しようとするならば、例えば北一輝の場合のように、天皇を国民の意志の傀儡とする道しかなかったからである。そしてこれは、2・26事件によってその不可能が立証された。日本人の「一般意志」は、それ以来まだ宙を浮いたままであるというべきである。

政治学レジュメ~日本のナショナリズムの源流Ⅰ
政治哲学レジュメ 日本民衆の「国民」化 橋川文三『ナショナリズム その神話と論理』 新装復刊版,紀伊国屋書店(2005年)145-172頁 国家が...