刑法レポート~因果関係判断における介在事情の処理手段

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刑法レポート~因果関係判断における介在事情の処理手段

因果関係判断における介在事情の処理手段について、どのようにかんがえるべきか。

一、はじめに

行為後の介在事情がある場合に、構成要件的結果への因果関係の判断はいかに処理されるべきか。学説の対立を検討した上で、私の立場を示したい。

二、因果関係

まず、因果関係とは、行為(実行行為)と現に生じた結果(構成要件的結果)との間に存在すべき必然的関係を意味する。

この因果関係が認められる基準としては、従来、伝統的な対立があった。条件関係、すなわち「当該行為がなければ当該結果は発生しなかった」といえる関係であれば認められるとする見解(条件説)と、条件関係に加え、当該行為から当該結果が発生することが「相当」であるときは認めるとする見解(相当因果関係説)の対立である。

この点、条件関係のみで判断すると、偶然の結果についてまでも責任を負わなければならない事態が考えられる。これは、処罰範囲を不当に拡大させることになり妥当ではない。よって、現在では、条件関係のみで判断する見解は広く否定されている。

判例は、大審院以来、条件説に拠っていると言われていたが、過失犯事案において、最高裁昭和42年10月24日決定は、行為から結果の生じることが「われわれの経験則上当然予想しえられるところであるとは到底いえない」といって因果関係を否定した。「経験則」に言及したことは、条件関係だけではなく付加的な要件と併せて判断することを示すもので、相当因果関係説に近い立場を採ったと解釈できる。もっとも、これ以降の判例に相当因果関係説を採ったと明確にいえるものはない。

ところで、相当因果関係説によると、相当性を判断することになるが、この判断の基底とされる基礎事情の範囲について学説はさらに対立している。判断基底を①行為者の認識・予見した又は可能な事情とする主観説、②行為時に存在した全事情と客観的に予見可能な行為後の事情とする客観説、③行為者の認識・予見した事情と一般人が予見可能な事情とする折衷説の対立である。

ここでは、行為者が認識できなかった事情であっても、一般人にとって認識可能な事情は除外すべきではなく、①主観説は妥当ではないため、②客観説と③折衷説とのいずれを採るかというのが主な争いとなる。

三、行為後の介在事情

上述のとおり、条件関係を否定する形で提唱され、広く支持されるに至った相当因果関係説であるが、行為後の介在事情の処理について問題点が指摘されることになる。

というのも、客観説、折衷説の両説からも、行為時に行為後の介在事情について予見可能といえるのであれば判断基底に入り、予見不可能であれば判断基底から外れることになるが、この予見可能か否かという基準自体が曖昧である。また、誰のどの行為に責任が追求されるかが不明確のままとなって、刑法上因果関係が求められている意義が果たされない。行為後の介在事情の処理という問題が提起されたことによって、相当因果関係説は存立の危機にあったのである。

そこで、これを克服するために、行為のもつ危険性が結果に現実化したといえるか、もしくは寄与したといえるかを基準とする判断方法が提唱された。

これについて、①行為に存する危険性の大小、②介在事情の異常性・行為との関連性の大小③介在事情の結果への寄与の大小の三つの要素から総合判断する見解がある。

この見解によれば、それぞれ、①行為に存する欠課発生の確率が大きいほど、②介在事情の異常性が小さいほど、③介在事情の欠課への寄与が小さいほど、行為と結果との因果関係が認められやすいことになるが、総合評価で判断することは判断を複雑とさせ、基準をより不明確なものにしてしまう。よって、妥当な方法とはいい難い。

次に、①行為の危険性は、行為時に存在した事情を基礎に客観的に判断し、②因果経過の経験的通常性自体は、危険の現実化を判断するための補助的基準にすぎないとする見解がある。

これによると、行為者の行為によって、結果を惹起する決定的原因がすでに作出された場合には、その後の因果経過が通常性を有しなくても、行為の危険性が結果へと現実化したとの判断をする。

また、行為者の行為によって結果惹起の決定的原因が作出されたのではなく、事後的な介入事情によって結果の決定的原因が作出された場合には、介入事情がもたらされる蓋然性や可能性が認められなければならないことになる。

事例毎に具体的な判断が可能である。また、実行行為に結果惹起の危険性を要求しているから、原因が明確化し、刑法上因果関係が求められている意義にも適う。

よって、行為後の介在事情がある場合に、因果関係を判断する手段として、この手段が妥当だと考える。

以上

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