政治レポート~高度経済成長の要因

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政治レポート

高度経済成長の要因について述べよ

1940年代末から60年代の日本経済の発展は、1954年から始まる高度経済成長期にピークを迎える。この高度経済成長の要因として次の3つが挙げられる。①企業活動の活性化②投資の増加③市場の拡大。以下、これらについて詳述する。

1、企業活動の活性化
敗戦後の日本は、連合国軍の占領下におかれ、占領軍の主導で「戦後改革」が行われた。戦後改革の一つである財閥解体は、企業間競争の促進や経営の活性化をもたらした。連合国軍は財閥について、民主化という観点から、軍国主義の協力者であり、圧倒的な支配力で半封建的な労使関係を作り出すものだと見て、問題視した。また、業界への新規参入者を妨害するものとしても考えられ、解体を命じた。財閥解体とともに行われた独占禁止法の成立も、独占的な立場での経営を阻止し、公平・公平な企業活動を促進しようとするものだった。財閥でなくても、シェアが独占的であるとみなされた大企業を分割するように推し進めたのである。こうした集中排除によって、企業間の競争に正当性が与えられて、企業活動は活性化した。

2、投資の増加
設備投資の増加の始まりは、50年6月の朝鮮戦争勃発による「特需」に見られる。朝鮮戦争勃発までの日本は、貿易赤字をアメリカの援助により補填されていた一方で、外貨保有量には制約が設けられていた。外貨が限られていたことで設備投資のための輸入を増加させることができずにいたのである。
ところが、朝鮮戦争勃発により米軍は、戦線の物資を日本国内で発注し、支払いをドルで行った。こうして日本は外貨収入を得ることができ、設備投資を行える環境が整った。51年には、政府が日本開発銀行を設立するなど、企業の設備投資を援助する体制も整った。50年10月の時点ですでに、国内の鉱工業生産指数は戦前水準を超えていて、ドッジラインがもたらした安定恐慌で苦しんでいた日本経済は特需によって一気に盛り返した。
朝鮮戦争の停戦後も設備投資は続き、50年代後半には、重化学工業部門の投資の増大が顕著となった。重化学工業の供給能力が拡大することは、他の産業の設備投資を誘発する効果も持っている。未熟で小規模であった日本の産業は、設備投資を行うためには、関連する他産業の設備投資をも必要としていた。こうして、産業間の連関関係を通じて、連鎖的に設備投資が拡大する「投資が投資を呼ぶ」という状態になった。
他方で、設備投資は技術革新をもたらすという側面も持っていた。日本の生産設備は戦時期から使用していたものが多かったため、老朽化が激しかった。設備投資によって、海外の優れた技術が集中的に日本に導入され、生産性の上昇は顕著にあらわれた。こうした海外の技術と戦時期に発展した軍需産業の技術が民間に結集されていったことで、技術革新は加速した。

3、市場の拡大
設備投資の増加が目立っていた重化学工業部門では55年以降、生産額と就業者数が飛躍的に伸びた。とりわけ、労働生産性の上昇率が高いことが特徴的で、技術革新が雇用増加を上回る生産性の向上を果たしたことを意味している。
重化学工業の発展は、家電や自家用車などさまざまな新製品を生み出し、人々の購買意欲をかきたてた。経済が発展するのにともなって個人の所得も上昇していて、個人消費支出と新製品の急速な普及は拡大していった。こうして日本は、大衆消費社会へと突入していく。
ところで、消費社会の形成には、連合国軍による戦後改革での労働改革と農地改革の影響も見られる。すなわち、労働改革では、労働組合法、労働基準法、労働関係調整法が制定され、労働者が雇用主から搾取されない環境を築いた。労働者の地位や経済水準の向上に大きく貢献した。
農地改革では、政府が強制的に農地を買い上げ、実際に耕作していた小作人に売り渡した。地主による独占的な所有を阻止したのである。それまでは地主に搾取されがちだった小作人の立場を保護したといえる。こうしたことから、幅広い層の経済水準の向上がなされたことが分かる。かくして、日本経済は大量に消費する時代を向かえるのである。