学説判例研究~憲法~生存権訴訟

この記事の所要時間: 116

憲法学説判例研究 生存権訴訟

生存権は積極的権利のため、これを基に作為を求める訴訟は原告側に相当な困難がある。

憲法学レジュメ~積極的権利の性質と審査手法
積極的権利の性質 (参照:小山「憲法上の権利の作法」p113~131) 「積極的権利」とは、国家に作為を求める権利の総称。 作為請求権ともいえる...

堀木訴訟

堀木フミ子さんは国民年金法に基づく障害福祉年金を受給していたが、兵庫県知事に対し児童扶養手当法4条1項1号、5条、6条に基づき児童扶養手当の十有資格の認定を請求したところ、併給禁止条項に該当するとして請求が却下された

そこで、堀木さんは併給禁止条項が憲法14条1項、25条2項、13条に違反するとして処分の取消と、受給資格の認定を求めて出訴した

制度について

国民年金法は1959年に制定され、1960年に施行された。この制度の一つとして、拠出制の母子年金制度と無拠出の母子福祉年金制度が設けられた。

母子福祉年金は夫と死別したことによる母子世帯のみを対象とされ、1986年に遺族基礎年金に統合された。しかし、生別母子世帯に対し何らかの所得保障をしないことは、死別・生別各母子世帯のいずれにおいても変わるものではないという要望から、1961年に児童扶養手当法が制定された。この法律は、母子福祉年金など公的な年金が受けられない生別母子世帯等の義務教育終了前の児童に対して手当を支給し、児童の福祉を図ることを目的とする法律である。

母子福祉年金 国民年金法による所得補償制度のうちの一つとして、夫と死別したことによる母子世帯のみを対象とした年金制度。保険であって、不慮の事故に対して保障するもの。離婚等の、夫との生別による母子世帯は保険という性質になじまない。
児童扶養手当 母子世帯の生活の困窮という点では、死別・生別各母子世帯のいずれにおいても変わるものではない。1961年から生別母子世帯も経済的援助が必要であるとして、2010年からは父子世帯に対しても交付されることになった。

※児童手当が、児童を養育していることに伴う支出の増加に着目した制度であるのに対し、児童扶養手当は 稼得能力の低下又は喪失に着目した制度。

神戸地判S47.9.20 堀木訴訟 第一審

14条違反との判断

国民年金法所定の視覚障害者として障害福祉年金を受給し、かつ児童を監護するする母という地位にある女性

→障害福祉年金のみ

同程度の視覚障害者である障害福祉年金受給者の父と健常者の母、子のいる世帯

→障害福祉年金と児童扶養手当

この違いについて、

①障害者として公的年金を受け得る者が、母であるか又は父であるかによる差別(性による差別)であり、

②母が障害者であるかまたは健全であるかという差別(社会的身分類似の地位による差別)もあると判断。

そして、本件条項は、何ら合理的な理由がないにもかかわらず、①②の二重の差別をしているのであり、憲法14条1項に違反だと結論付けた。

高裁は性別による対比をするとすれば、廃疾の状態にある父が児童を養育する場合における手当の支給の有無をもって判断すべきであり、地裁の比較は正当でないと批判した。

大阪高判S50.11.10 堀木訴訟 控訴審

峻別論の採用

規範的な部分について次の通り解釈した。

1項:国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運用すべき国の責務を宣言

2項:国民の社会生活水準の確保向上に努めるべき国の責務を宣言

芦部説は、
1項 : 生存権の保障は社会権の中で原則的な規定であり、国民が誰でも、人間的な生活を送ることができることを権利として宣言したもの。
2項 : 1項の趣旨を実現するため、国に生存権の具体化について努力する義務を課している。

判旨

2項は国民の社会生活水準の確保向上に努めるべき国の責務を宣言したものであるが、2項に基づいて行う国の施策は、結果的には国民の健康で文化的な最低限度の生活保障に役だっているとしても、その施策がすべて国民の生存権確保を直接の目的とし、その施策単独で最低限度の生活の保障を実現するに足りるものでなければばらないことが憲法上要求されているとはいえない。

2項の趣旨から考えると、同項に基づいて国が行う個々の社会保障施策については、各々どのような目的を付し、どのような役割機能を分担させるかは立法政策の問題として、立法府の裁量に委ねられている。

すなわち、2項は国の事前の積極的防貧施策をなすべき努力義務のあることを、1項は2項の防貧施策の実施にも拘わらず、なお落ちこぼれた者に対し、国は事後的、補足的かつ個別的な救貧施策をなすべき責務のあることを宣言したものであると考えることができる。

児童扶養手当が憲法25条1項、2項のいずれによる施策か?

1)社会保障制度とは

→①防貧施策としての経済保障、②救貧施策としての生活保障、③公衆衛生と医療、④社会福祉の4部門からなる

2)生活保障と経済保障

救貧施策である生活保障は生活保護法が憲法25条1項の趣旨を直接実現する目的をもって制定されている(具体的、個別的な救貧施策)

そうであるなら、具体的、個別的な保障施策としての規定が存在しない法律によって社会保障制度が設けられた場合は、25条2項の防貧施策

↓結論

障害福祉年金と児童扶養手当との併給禁じた条項は25条1項に違反しない。

→併給禁止したとしても、生活保護がある以上、1項違反の問題にならない。

障害福祉年金と児童扶養手当との併給禁じた条項は25条2項に違反しない。

→2項には1項のような絶対的基準はなく、立法政策の問題だから、原則立法裁量に任せられているので違憲問題にならない。

ただし、例外として、立法府の判断が恣意的なものであって、国民の生活水準を後退させることが明らかなような施策をし、裁量権の逸脱があれば、2項違反に反することが明白となり、司法審査に服する。

峻別論は、1項は救貧施策、2項は防貧施策をなすべき責務をいうものとするが、1項の救貧施策を生活保護法による公的扶助に限定し、他の施策をすべて防貧施策として広汎な立法裁量に委ねた点で批判が強い。
1項を「最低限度の生活の保障」という絶対的基準の確保を直接の目的としていると捉え、厳格な司法審査が行われる旨を示唆する。しかし、2項の防貧施策については広汎な立法裁量を認め、緩やかな司法審査を行っているのである。
最高裁は峻別論を採用せず、憲法25条の規定は、全体として国権の作用に対し、一定の目的を設定しその実現のための積極的な発動を期待するという性質のものとした。

最大判S57.7.7 堀木訴訟 上告審

[プログラム規定説について]
プログラム規定説とは、憲法25条は、国の政策指針を示すにとどまり、法的拘束力や裁判規範性を持たない、政治的・道徳的義務を課したものとする解釈論である。法的問題ではなく、当不当の問題であるとする。
立法裁量論は、裁量権の逸脱・濫用は許されない点で憲法が規範として機能するが、プログラム規定説はそのような規範性を完全に否定する。
プログラム規定説は25条の憲法規範性を完全に否定していると批判される。また、「健康で文化的な最低限度の生活」とは、きわめて抽象的・相対的な概念であって、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるものであり、国に法的義務を課したと解することはできないとするのがこの説の根拠である。
しかし、これに対しても、一時代、特定の時期、特定の場所においては、ある程度客観的に基準を定めることは可能であるという批判がある。本判決で最高裁は、抽象的権利説に立ち、プログラム規定説をとらなかった。
プログラム規定説 → 生活保護法の制定によりはじめて受給権が創設されたとする。憲法25条とは法的には無関係。
抽象的権利説 → 憲法25条の抽象的権利を生活保護法で具体化している。憲法25条と生活保護法を一体ととらえ、憲法的拘束を受ける。
具体的権利説 → 憲法25条から具体的権利があるとして、立法不作為を違憲として争える。
憲法学レジュメ~生存権の法的性質
憲法25条の法的性質に関する学説 プログラム規定説 憲法25条1項は単なるプログラムないし指針を宣言するものであり、国家に対する政治的義務以上のもので...

審査について

25条規定にいう「健康で文化的な最低限の生活」なる概念は「きわめて抽象的・相対的」であり、その具体的内容はその時々における文化の発達の程度、経済的、社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断される。

「憲法25条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのように立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量に委ねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるを得ないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない」。

【肯定する考え】「批判する学説もあるが、二重の未確定性をかんがみれば、この説示自体は必ずしも不当でない(小山「憲法上の権利」p121)」

【批判する考え】「健康で文化的な最低限度の生活」の具体的内容を一義的に確定することは困難であるが、およそそのような水準のものかは指し示すことは不可能でない。そのため、「最低限度の生活」の確保にかかわる施策については、立法府の裁量はより狭く限定され、裁判所のより厳格な審査基準が妥当すると考えるべき。

14条について

「本件併給調整条項の適用により、上告人のように障害福祉年金を受けることができる地位にある者とそのような地位にない者との間に児童扶養手当の受給に関して差別を生ずることになるとしても、さきに説示したところ(25条についての説示)に加えて原判決の指摘した諸点、とりわけ身体障害者、母子に対する諸施策及び生活保護制度の存在などに照らして総合的に判断する」とだけ述べて、14条に違反しないと結論づける。

つまり、14条についてはなんらの論証も行っていないに等しい。
※14条違反を主張することについて
生存権の領域で14条違反を主張しても、最高裁判例では、25条の広範な立法裁量を前提に緩やかに審査される。しかも、25条の要求する合理性との違いも、明確でない。しかし、25条が実体的権利であり、14条が相関的な権利であることからすれば、25条との関係で合理性があるかどうかと、14条との関係で合理性があるかどうかの審査の中身は、おのずと異なるはずである。そこで、14条に固有の合理性の審査は、生存権具体化立法に固有の論点ではなく、およそ広い立法裁量が成立する分野において立法裁量に歯止めをかけるにはどうすればよいのかという、普遍性のある問題である。(権利の作法p127)

朝日訴訟

最大判S42.5.24 朝日訴訟 上告審

原告の朝日茂(国立岡山療養所に入所する生活保護受給者)は、国立岡山療養所に単身の肺結核患者として入所し、生活扶助基準の最高金額たる月600円の日用品費の生活扶助、元物による全部給付の給食付医療扶助とを受けていた。しかし、実兄から扶養料として月1500円の送金を受けるようになったことから、月額600円の生活扶助を打ち切られ、送金額から日用品費を除いた900円の残金は医療費の一部として負担させる旨の保護変更決定を受けた。そこで原告は、上記600円の基準金額が生活保護法の規定する健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するに足りない違法なものであると主張して提訴。

生存権について

プログラム規定説を採ったのか抽象的権利説を採ったのかは明らかでない。

プログラム規定説を採ったと解すると、裁量権の逸脱・濫用の場合に司法審査の対象となることを認めているため、純粋なプログラム規定説をとったものとはいえない。

しかし、抽象的権利説と解すると、生活保護法が存在する以上、憲法25条1項は裁判規範性を有するのであるから、最低限度の生活水準の内容を厚生大臣の裁量的決定にほとんど完全に委ねている点で妥当とはいいがたい。

(生活保護法1条で憲法25条の理念に基づき、3条で趣旨を規定しているので、25条と生活保護法は一体の関係にある)

保護基準設定行為について

保護基準設定行為は、羈束裁量行為であるとする。

羈束裁量行為(法規裁量行為とも)……その裁量が、法規の上では一義的に定められていなくとも客観的な準則が存在し、その解釈適用に関する法律判断と解せられる場合をいう。すなわち、「何が法であるかの裁量」をいう。これは一見裁量のようであるが、実は裁量ではなく、裁判所の審理に服する。

フォローする